意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

木目

天井のシミや木目が人の顔に見えてしまうということはよくあることですね 私も子供の頃は寝室の八畳間に接している廊下には向かいに洗面所と便所があって便所の上の壁の木目が怒りのこもった人の横顔に見えて怖かった それをおそらく母に訴えたことがあるが母は取り合ってくれなかった 廊下と八畳間を仕切る襖があったが何しろとっちらかった家だったので物が立てかけてあったりして襖がしまることはほとんどなかった だから木目は常に私のそばにあって私をおそれさせた 


木目のことは長い間忘れていたがこの前ふとしたはずみに思い出したので子供に
「今度怖い顔の木目を教えるよ」
と約束した 子供は
「うん」
と言った 忘れてしまったがそもそも子供のほうから
「怖い木目がある」
と持ちかけてきたのだ 木目は大人には見えないから私はそれを確認したかどうかもおぼえていない 木目が人の顔に見えるというのは一種の共感覚ではないか 共感覚とは音に色がついているとかいうアレだ 幼い頃は誰でも共感覚はあるが成長に伴って分離されるらしい 子供の頃は物理とか知らないから身の回りのことを自由に定義できた 木目が人の顔に見えるのではなく 人の顔が木目になったとでも思っていたのかもしれない 私は臆病で暗闇でたたんだ洗濯物が重ねられているのが生首に見えて恐れおののいた記憶もある