意味をあたえる

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卒業式

卒業式で周りが感極まって泣いているのに自分は泣けず「私、何か大事なものが欠けている」と感じている人達を想い、描いた漫画に共感や思い出の数々 - Togetter

卒業式で泣く意味が私にはわからなかったがそういえば私は幼い頃すぐに泣く性分でそれが恥ずかしくて何とか泣かずに済ませまいかとよく考えていた しかし今になって思うと一体何で泣いていたのかよく思い出せなくなってしまった 覚えているのは東京の母方の祖母の家に数日泊まって帰るときに寂しくて泣いたことだ あと子供会という行事で学年ごとに歌を発表するというので練習に行ったらその日私の学年は私しかいなくてひとりなのに人前で歌わなければならず恥ずかしくて泣いた 上級生のお兄さんとお姉さんが両脇について一緒に歌ったが尚のこと恥ずかしかった さらに私はそのお兄さんというのが嫌いだった 過去について思い出すとき恥ずかしいことを思い出すことが最近多い もうそれは遠い過去だからおそらくおぼえている人もいないし他愛のないことだがなんだか私は過去から逃げるように突っ走って生きているような気がする 不確定の未来に頭から突っ込んで耳と目を塞いでしまおうという魂胆なのである


祖母の家から帰るときには泣いて卒業式で泣かないのは不思議ではあるが不思議だというのは卒業したあと全く会わない人がほとんどなのである だから小学校卒業して別の中学行った後にまた友達になって遊ぶようになったりすると奇跡のようにかんじた それでも卒業式に寂しさをかんじないのはイベントというものに胡散臭さをかんじていたからではないか わざと別れの歌を歌ったり胸に花をつけたりそんなときに寂しさをかんじるなんて馬鹿みたいだ かんじるというのはもっと主体的な行為であるはずだ だから私は中学高校の卒業式の日はひとりで家まで帰ったのだ 小学校もひとりで学校を出たが2人追いかけてきた 3人で何を話しながら帰ったかはおぼえていないが他愛のない話だったに決まっている


大学の卒業式はわざとバイトを入れて出席すらしなかった 母は半ば呆れていたが大学には友達もいなかったし卒業式には単位がないのだからあえて行く理由もなかった コンビニでレジ打ちをしながら今日からフリーターかと感慨にふけるほうが余程卒業っぽかった 簡単に言えば私はお膳立てされたものが嫌いなのだった