意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

文章力とコミュニケーション

企業が採用で最重視するコミュ能力 若者の理解とはズレ:朝日新聞デジタル

私の上司の上司は私よりも年下で私の弟と同い年である 仕事で直接関わることはあまりないが大変見やすいメールを書く人である 私は今の仕事でメールをよく書くような業務になったとき仕事のメールというのは馬鹿に言い含めるように書かなければいけないということを思い知った 多少主語や述語が飛び散ってもいいからとにかく○と伝えるべきぶぶんが△にならないよう注意を払わなければならない 私はふだんは大変わかりづらい文章を書いており読んだ人が私の意図を曲解してもむしろ曲解したほうが私の隠された意図なのだみたいな解釈を好む


だから仕事のメールというのはとてもマジメに書こうという気にはならないのだが前述の人は見出しなども大変見やすくつけており、いつだったかの年度末にかなりのボリュームのメールを寄越したときにはよくこれだけの情報量を詰め込んだもんだと舌を巻いた 確かにふざけたメールの人もいて新しい販管システムでこんなに安くなりました! みたいなメールの添付が全然安くなかったり、稟議のコメントをわざと読みづらく文字を並べてむちゃくちゃなロジックを誤魔化したりというのを見かけた それがまかり通るのだから政治のうまい人が出世するというのは一理あるかもしれない


話を戻すと前述の人について私は仕事のできる人と評価しているが多くの人は年齢で見て30そこそこであそこまで出世するのは学歴が良いのと政治がうまいからだと評している 距離が遠いと見えなくなってしまうのが実力というものなのである だから引用の記事について私としてはなるほどと思うぶぶんがあったがコメントにはコミュニケーションとは政治みたいなのがあってそれは距離が離れているせいでそう思うだけでは? と思った