意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ハリケーン

仕事から帰るとちゅうの交差点でふと脇に目をやると家庭用の物置の上に子供用の自転車がおおいかぶさっていていっしゅんハリケーンでもきたのかと思った オズの魔法使いの世界である よく見ると物置の周りには重機だのが特に法則性もなく置かれていてそういう系の家なんだと納得した 自転車は置く場所がなくて物置の屋根の上に追いやられたのである おそらく子供は成長して子供用自転車は役割を終えたのである


なんと儚いことよ!


私も昔はギャバンだかシャリバンシャリバンと打とうとしたら舎利板とか出てきて仏様のようだ)の自転車を乗り回していた口だ ハンドルの先端にビニールの切れにくい紐が下がっていたと記憶する その頃私は小児喘息で入退院を繰り返しあるときの退院の際に家に戻ったら玄関にその自転車があったと記憶する 両親なりのサプライズなのであった 自転車にでも乗れば体も丈夫になると思ったのかもしれない その頃の医師に両親は「喘息には水泳が良い」と吹き込まれ私は地元のスイミングスクールに入れられたが私はこれが嫌で仕方がなかった 何が嫌だったのか今では覚えていないが多分知り合いがいなくて気まずいのが嫌だったのだろう 私は就学前から「憂鬱」という感情を持っていた クロールの息継ぎができなくて検定に落ちたところで母はようやくやめさせてくれた 母の性格からするになかなかやめてもいいと言わなかったのは医師の指示があったからだろう それから私は特に理由もなく喘息の発作も起こらなくなり子供ができて子供が習い事をするようになったが子供も一時期習い先に友達がいなくてつまらなそうだったが最近は仲の良い人もできたようだ そうすると迎えに行ったときにいつまでも友達とだべろうとして親としての私は別の親との距離が気まずくどうして習い事というのはいつまでも私を苦しめるのかと思う