意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

シンデレラ

ゴミ捨てをどっちがやるかすらちゃんと話し合えなきゃ夫婦は続かない。 - いずれも。

この前家族がテレビを見ながら笑っている隣の台所でひとり洗い物をしていてふと「シンデレラみたいだ」と思った 境遇を重ねたわけではなくシンデレラに出てきそうなシーンだと思ったわけだ 家人にそのことを伝えると「そうか」みたいな反応だった 私の家の場合は明確に家事を分けようとしたことはなくまた家では義母も家事をするから妻が家事労働でいっぱいいっぱいになってしまうこともなくあまり切迫した事態にもならなかった それでも洗濯物や洗い物をしながら恨み言を言われることもあったので私の神経も細いこともあって徐々に私も家事をおぼえた 最初のうちは干し方がダメだとぜんぶ干し直されたり洗い物をすると「泡が残っている」と指摘された 妻は自分の家事労働にはかなりこだわりを持っていたがそのほとんどに対し私は理解できなかった 妻は自分の仕事は面倒だと思っても人を育てるセンスはないようだった それでも私が辛抱強く続けると妻もだんだん口を出さなくなった 放っておいた方が楽だと気づいたのである 私はやるとなったら毎日やるほうが楽な性格なのである 「今日はやってくれるだろうか?」と気を揉むよりも自ら行動した方が良い 例えば「火曜日は妻」みたいな当番制にしてもそれは同じで例えば「今日は遅いから替わってくれる?」みたいに言われるとがっかりしたりムカついたりする 私も私で理不尽で身勝手だった


だから家事の分担について私は本質的に理解できない こーさんが記事の中に書いたとおり家族に奉仕するのはなんら異常なことではないと私も思う 私ははっきり言って無理にフィフティーフィフティーに持って行こうとして境界線に神経質になるよりかはぜんぶやったほうが楽だ そうすれば少なくとも「あの人は何もやってくれない」と指をさされることはない しかしそれは結局はエゴであり優しさの対極なのである 本当の奉仕とはやってあげることではなくやってもらうことだ そこまでの境地にはさすがにまだ到達できないがたぶんそうなのだろう


家族を持って思うのは人々はちょっと自分の時間とか自分らしさとかとにかく自分というものにこだわりすぎでありそれで自分を苦しめている 自分の時間を他人のために使ってもなんら変なことではない じゃあブラック企業とかは正解なんですかと言われるとわからない