意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

お金の奴隷

録っていたクレイジージャーニーの陶芸の回を見ていたら曜変天目茶碗を再現している人が出ていていかにも気難しい風の人が土をこねくり回していてろくろを回す場面まではスタッフの質問にもむしろ愛想良く答えていたが窯で焼くところまでくるとカメラも取材もNGとなって「せめて小さいカメラだけでも」と食い下がるスタッフに対し「私は研究のためにやっているのであってあなた方を喜ばすためにやってるんじゃないよ」と突き放す その場面を見て私は普段の自分がいかにお金の奴隷なのかというのを思い知った


インターネットを見ていたときに大家族の人のブログでドキュメンタリーを撮りたいと言ってきたテレビ局の人がああしろこうしろと細かく指示を出してきて終いには特定の子供に対しやってもいない悪事をやったことにしろと言われさすがに頭に来て文句を言って企画がおじゃんになったというのを読んだ 曜変天目茶碗を見ながら私はそのブログを思い出したが「テレビ局ひどい」と思う時点でお金というか権力の奴隷になっているとかんじた 私たちのアイデンティティとかプライドとかそういうのがいとも簡単にねじ曲げられてしまうのは何でだろうと思った テレビ局のスタッフは権力の看板を背負ってやってくるから周りが合わせるのが当然だと思っていて当たり前に抗うのにはかなりのエネルギーを要する 私は平然と突き放す曜変天目茶碗をすごいと思うより「この人金持ちなんだろうな」とぼんやり思った


普段仕事をしながらイライラしてイライラした分だけ周りは誉めてくれるがそれでいい気になる私が恥ずかしいなと心のどこかで思っている いったい何をしているときは私は私であることを忘れられるのか