意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

新幹線の三人組

今日新幹線に乗っていたら仕事帰りの三人組がおしゃべりに興じていた 三人は最初は各自缶のアルコール飲料と袋入りのおつまみ(チータラ、等)を座席から取り外す台の上に並べていて私はその斜め後ろの席から(給食か配給みたいだな)と思い眺めていた おそらくリーダー格の人が缶とおつまみそれぞれ一品ずつと定めたのだろう 最初のうち三人は台の上に並べて押し黙っていたが列車が進むにつれてそれらは消費され同時に各自の声も大きくなった 通路側に女の人がいて女の人の声はよく通る声だったので聞く気がなくても話の内容が耳に入ってきた 困った人がいるらしい あと自主性が云々という話をしていた 自主性のない人は困った人なのだ いつからそうなったのか知らないが会社という場所は言われた以上のことをしなければダメなところになってしまった 私も指示を出して「やりました」とバカに上から言ってくる人がいてイラッとすることもあるがこれも会社病にやられた私の症状かもしれない むしろやったことができない・できなかった人の方がこちらの頼み方が悪かったんじゃないかと悪い気になる つまり過不足なくやるくらいなら足りないくらいのほうが会社ではかわいがられ長生きできるのだ 指示を出す方もこの人は愚鈍だと判断したら少しハードルを上げて間違っても「出来ました」とならないよう注意しなければならない


どうして最低限の仕事というのはイメージが悪いのか ぴったりにするというのは調整がいるから手を抜いたように見えてしまう 5時ちょうどにやってくる人は実は4時50分には到着していて10分間ぼんやりしているのだ 仕事はタイムイズマネーだからぼんやりするなんてゆるされない というか相手に怒る理由を与えてしまう 集団というのは常に相手の欠点というか相手を怒るポイントをさぐり合う性質を持つ