意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

途中式(私にとっての良し悪し)

https://togetter.com/li/1271525

私はこのサイトの良い絵悪い絵をクイズ風にやってみたらけっこう外れた 古いものだしトレンドではないし見方としては偏っているかもしれないが解説を読むと腑に落ちるぶぶんがあった 何枚も見たりまた自分でも書いたりするとよくわかるのかもしれない 私の子供は絵でしょっちゆう表彰されたりしているから媚びた絵ばかり書いているのかもしれないと思った 確かに誰かの心を打ったりするものがそう簡単に周りから評価されるわけはない しかし評価されないことを足がかりに見ようとしてもやはり的外れになる ただのあまのじゃくになってしまう 昔「たけしの誰でもピカソ」という番組で絵や芸術の勝ち抜きがあったが何を基準に審査員たちがほめちぎったり逆に糞味噌に言ったりするのかわからなかった 子供の出場者がいてドラゴンの絵を書いてやってきていわゆる子供の絵だから私としては「ふん」という気持ちだったが審査員は全員が両手を上げて大喜び 「ああ、この子は天才なのか」と思った翌週か翌々週は「今回はちょっとダメだね」と厳しい評価が揃うのは番組的なアレなのかもしれないが不思議な世界だった


私たちは人の目でしか物を見れないと結局のところ思うので真似っこで全然かまわないしオリジナリティにこだわるより早道なのである 「あの人がいいと言うからいいよね」から始めてしつこくやればどこかで袂を分かつときがくる 「考えるんじゃなくてかんじる」とか「全然良いと思わないのに頭から離れない」というのが私には結局わからなかったのでこれが私のスタンスです


私が心から「おおっ」となったのは20代の初め頃にお茶の水にスネアドラムを買いに行って地下にある楽器屋で高い棚にあるやつを試奏したいといったら店員は無愛想に下ろしただけでどっかに行ってしまい叩いたらすごく良い音がしたというときだけである その前の店の店員が妙に先生ぶってアドバイスしてくるのが鬱陶しかったのも含めて感動的な瞬間であった