意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

会話はキャッチボール

言葉のキャッチボールという言葉があるくらいだから会話とは体育的なものなのだろう 発声された言葉とは思考ではなく音なのだ 


ということを昼間読んだ記事を見ながら思った いつのまにか見えなくなったから引用できないが友達が死んだ息子に対し「その子のぶんも生きなよ」と声をかける母親 息子がその意味を問うと「よくそう言うから」とパターンの踏襲であることを白状する母親 これが世に言う哲学ゾンビなのかと空恐ろしく思ったがしかし案外そういうことばかりなのである 死んだ友達のぶんまで生きるとはどういう行動を指すのか なんだか共通の知人に会う人に向かって「よろしく言っといて」と伝えるのに似ている 実際に「よろしく言ってたよ」と 伝える場面もあるが大抵は何も言わない そうすると「よろしく言って」は今目の前の人に対するメッセージなのか あるいはすり減らされた意味のなれの果てなのか