意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

お風呂があつい

子供のころ父の沸かした風呂に入るのが憂鬱だった 熱々だからであった 足先を湯船につけるだけで全身に電気が走ったかのように体がこわばった がんばってふくらはぎ、膝の順に押し込む 片足が入ったら下半身と上半身が順番につかる 背中が最後だ あるいは中腰で粘る   冬でも寒さを忘れる


母と入るときは水をどぼどぼ入れても許されたから自分の適温にすることができたが父は「ぬるい」と水を許さなかった せっかく沸かした風呂なのである 湯沸かしの電源がザクのモノアイのように赤く爛々としていた 父はなぜそこまで熱い風呂にこだわったのか 巷では男らしさがどうこう議論されている(それは2019年のはなし) 私にとっては男らしさとは風呂の熱さであり私は男らしさというものにどこかプレッシャーをかんじていた


そう思っていたら最近子供の後に風呂に入るととても熱くて苦痛であることに気づいた 私は大人になって熱い風呂も厭わなくなったと自分で思っていたがそれは勘違いであった 子供は女であり幼児期からスーパー銭湯などに母や祖母と通っていたから熱い風呂には慣れっこなのであった 風呂の熱さと男らしさは無関係であった