意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

子を想うときあるいは父母を思っている

「あなたのお父さんはあのとき本当にやばかったのよ」
そう母が言ったときがある 父はそのときはグループの別の組織に異動させられてそれから少ししてその職場を去った やばかたのはその前で当時新しく来た理事長に目をつけられて色々苦労したらしい 私には当時も今もそのヤバさの本質がわからない もっと突っ込んで聞けばいいのだが親子の間には見えない壁がある だから私が今どういう気持ちで日々の仕事をこなしているか私の子供はつゆ知らずといったかんじだろう その点が救いであった のんきに
「5ミリ方眼のノートを買い忘れたので買ってきて」
と私に依頼してきた 9時を過ぎてもそういうものが買えるのである 私はTSUTAYAまで車を走らせた 私の頃は夜になって買い忘れに気づいたらアウトだったが今はアウトかどうかは親の裁量になっており親が親らしく振る舞う難易度が昔より上がっている 欲しいのは二冊だが五冊組のお得セットがあればそれでもいいと言った レジの横にあるらしい なかった ついでにふらふらと本屋コーナーに行くと吉野弘の詩集があってぱっと開くとI was bornが出てきてそれは粋がった子供が「僕らは生まれるんだね」と言って父親を困惑させる内容だった つまり生まれるとは受け身であるという子の発見に父が本当は生まれたくなかったのではないかと早とちりしカゲロウのお腹に卵がびっしり詰まった話をでっち上げるのである それを読んだのは中学か高校のときでこんな小説みたいのでも詩なんだと私と友人は感心した 


私はそういうおなじみの詩がたまたま訪れた本屋で手にとって開いたページに出ていて感激した 同時に私は父と母から生まれて今は子の父であることを思い出した ついさっきまで天涯孤独だと思いこんでいた この気持ちは明日になったら消えるだろう 詩をやろうと思った