意味をあたえる

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兎と亀(6)

高速を降りるとスーパーマーケットで買い出しを行い、一行は山道へ入っていった。30分ほど車を走らせ、最後は車一台がやっと通り抜けられる道を通り、目的地へついた。 キャンプと聞いて、勝手にテントを張るものと思い込んでいたが、一軒のコテージが建っているだけであった。辺りは森に囲まれ、他に建物は見えない。幹事の1人がドアの鍵を開け、中に入るとすぐに大広間があり、20人程の男女はそこへ荷物を置き、腰を下ろした。時刻は16時を過ぎていて、早速夕飯の準備に取りかかる事になった。 準備は庭で火を起こすのと、室内の台所で野菜などを切ったりするグループに別れた。何もせずに広間のテーブルで酒を飲みだす者もいた。兎はどのグループからもあぶれるような形になってしまい、仕方なくテーブルに買ってきた紙皿や飲み物を並べたり、分別用のゴミ袋を広げたりした。そのうち稲子の指示を受けて、用意の出来た野菜や肉を外へ運び出す役になった。

薄暗くなってきた頃に肉を鉄板に載せ、飲み物が各自に行き渡ると、部長が挨拶をした。 事故もなくこれて良かった、この旅行を楽しいものしよう、と意外と固い事を言った。しかし、肉の焼ける音とそれによる興奮したムードで、まともに聞いている者はいなかった。

酒が回ってくると各自が勝手な行動をしだした。一部の者が疲れたと言いだし、部屋へ上がっていった。暗いのをいい事に生の肉を食わせようとしたり、木の枝を折って鉄板の上に置いたりした。肉を焼いていた男が、空になったビニールパックを火に放り込み、何人かがそれに習ってゴミを放り込んだ。熱によってビニールはゆっくりと溶け、そこから黒い煙が立ち昇った。兎は足が疲れたので玄関の前の階段に腰掛けていた。すぐそばに同じように腰を下ろしている女子が2人いたが、既に暗くて誰だかわからない。兎は缶ビールを飲みながら、火のまわりではしゃいでいる集団を眺めていた。稲子の姿は確認できない。兎はぼんやりと生の人参を齧った。人参の歯応えが頭の中に響いた。

やがて焼くものがなくなったのか、それとも火遊びに飽きたのか、かまどの火が消され、徐々に建物へ入って行った。兎も後を追いかけ、広間のテーブルについた。入ってすぐそばに笹森がいたため、なんとなくその隣に座った。笹森も今入ってきたばかりのようで、兎の姿を認めると奥のクーラーボックスから、ビールを取ってきてくれた。部屋の中は外より数段明るく、目が慣れるまでに時間がかかった。笹森と乾杯をして、ビールを一口飲んでから部屋を見渡すと、稲子は一番奥の台所の前にいた。いつのまにか昼間まとめていた髪を下ろし、隣の女の先輩の話を熱心に聞いていた。何か真面目な話をしているようで、女は紙コップを握りしめてうつむき、稲子はそれを覗き込むような体勢だった。黒い横髪が下に垂れ、顔の半分が隠れている。
笹森とは昼間の話で盛り上がった。会話がひと段落するごとに、でもまあちゃんと着けて良かったね、とお互いを労った。笹森は兎が缶ビールを飲み干すと、奥から新しいのを持って来てくれた。兎の方も笹森のお代わりを持ってこようと思い声をかけたが、まだいいよ、と断られてしまった。

いつから始まったかも不明瞭な宴会は、未だに終わる気配がなかった。コテージの2階は女子の部屋という事になっており、何人かが上がって行く姿を見かけたが、男には部屋などなく、遅かれ早かれこの場で酔いつぶれる運命にあった。笹森と冗談を言い合うのも楽しかったが、徐々に話す事もなくなった。兎は尿意をもよおし、気分転換もかねて席を立とうと思ったが、笹森をひとり残して行くのは気が引けた。誰かが笹森に声をかけてくれれば良かったが、その日はなぜか割り込んでくる者はいなかった。稲子の方を見ると、誰と話すわけでもなく虚空を見つめ、缶チューハイに口をつけていた。隣の女は突っ伏していた。話しかけに行くのなら今だった。幹事お疲れ様、と声をかけてそこから会話を広げていけばいい。稲子はきっと、本当だよ、超疲れた、と言うに違いない。

とりあえずトイレに行き、それから考えよう。そう思って席を立ちかけた途端、笹森が「ていうか亀さんてなんなんだろうね」とつぶやいた。 兎が見てるだけでも焼酎を4、5杯飲んだ笹森は、ところどころ呂律が回らなくなりながらも、今回の兎と亀の勝負に対する自身の見解を述べた。それによると、やはり亀のやろうとしてることはよくわからないし、それに巻き込まれた兎は同情に値するとのことだった。大体亀は普段から何を考えているかわからないし、時々見下されてるような気にもなる。勉強もできるし、親切ではあるから嫌われてはいないだろうけど、深く付き合っていこうと思う奴はそんなにいないと思う。亀がその場にいないこともあるのか、笹森ははっきりと亀を非難した。その後で、兎さん、稲子さんのことが好きなら付き合っちゃいなよ、と言った。兎はそうするよ、と返事をし、今度の勝負は勝つべきか負けるべきかを相談しようと思ったら笹森はトイレに行くと立ち上がり、そのまま戻ってこなかった。稲子も隣の女もいつのまにか姿を消していた。兎は壁にもたれ、そのまま眠ることにした。


翌日は美術館へ行き、その後は湖でボートに乗りたい者はそちらへ行き、残された者は、ボート乗り場の駐車場で何をするわけでもなくじゃれ合い、疲れてくると少し先にあるマクドナルドへ入った。兎も一緒に入り、奥の長テーブルに座ったが、その光景は大学のラウンジの様子と変わらなかった。兎はいつものように誰かの話に適当に相槌を打っていた。たまたま根田がそばにいて、兎に声をかけてくれたが、それほど会話は続かなかった。

1時間ほど時間を潰したところで、稲子から電話があり、どこにいるのかと聞かれた。マクドナルドと答えると、お昼はどうするのかと聞かれた。電話を押さえて、お昼ってどうします?と大声で聞くと、案の定ここで食べればいいんじゃない?探すの面倒だし、との答えが返ってきた。 その事を稲子に伝えると、私せっかくここまで来たんだからほうとうとか食べたいんだけど、と低い声で言った。

結局兎だけが店から抜け出し、稲子達に合流した。逆にボートのグループからマクドナルドへ行った者もいて、結局5人でほうとうを食べた。稲子はこんなところまで来てなんでマックなんだよ、と文句を言っていたが、ほうとうが来ると、汗をかきながらそれを平らげた。

2日目の夕飯はカレーを作る予定だったが、やはり誰かが面倒臭いと言いだし、適当に何かを食べるという事になった。結局は酒が飲めればなんでもいいわけで、前日と同じスーパーに買い出しに来ると、カップラーメンやおにぎりやチョコレートを好き勝手にカゴに放り込んだ。一方で日野や根田は、前日の余った野菜がもったいないと言い、焼きそばの麺を買っていた。

買い物を済ませてコテージへ戻ると、見知らぬ車が止まっており、その前で3人の男がタバコをふかしていた。誰かが成藤さんだ、と声を上げ、その男達が大学の卒業性で、サークルのOBである事を知った。3人は全員真っ黒の短髪で、服装は周りと大して変わらないのに雰囲気はまるで違っていた。すぐに取り囲まれ、ちゃんと働いてますか?などとからかわれていた。

OBの3人をコテージに招き入れるとすぐに宴会が始まった。部長が再び挨拶し、料理をすると言った日野達を除いた全員が酒を飲みだした。2日目とあって低くなっていた旅行のテンションも、成藤達の合流によって再び高くなった。久しぶりの交流にはしゃぎ、様々な質問が浴びせられた。酒が回ってくると1人が、勤め先の社歌を歌い出して周りを笑わせた。兎は蚊帳の外だった。運動部のようにうるさい上下関係はないため、わざわざ挨拶しに行く必要はなかったが、その為に接点が持てなかった。成藤が知らない人を紹介してくれと部長に頼み、その時に何言か言葉を交わしただけであった。成藤は兎の姿を確認すると「これぞ本当のウサギ小屋だな」と部屋を見回しながら言った。

そのうちに場の雰囲気が落ち着いてくると、前日と同じように、数人のグループで固まり、何かを語り合うようになった。今度は笹森も兎からは遠い席だった。稲子も旅行の幹事同士で固まっている。表情から判断すると、昼間に大多数がマクドナルドに流れた事を嘆いているように思われた。仕方がないので1年生のグループの方に顔を向け、適当に話を聞いていた。誰も兎に話しかけようとはしなかったし、笹森のように気を利かせて酒を持ってきてくれる者もいなかった。仕方がないので自分でクーラーボックスまで取りに行かなければならなかったが、それ程飲もうという気にはなれなかった。

1年生の話題は、ひとりの女子の恋愛についてだった。同じゼミで好きな男ができ、その男には果たして気があるのかどうかを議論していた。出会いのきっかけから始まり、2人でディスカッションの座長を務めたことや、同じ授業の時は隣同士の席に座り、試験勉強も一緒にしたことなどを披露し、周りで脈があるのかどうかを判断した。結局は告白しなければどうにもならない気がしたが、皆真剣に意見をぶつけ合っていた。兎も意見を言いたかったが、自分の事を聞かれそうで何も言えなかった。そのうち結論を急いだひとりの男が悲観的な事を言い、女の子はついに泣き出してしまった。男は周りから袋叩きに合い、オーバーなアクションで女の子に詫びていた。

なんとなく喋りづらい雰囲気になり、周りの女子達が慰めだすと、ふと背中に稲子の名前が聞こえた。振り返ってみると、少し離れた一角に成藤達がいて、稲子の噂をしていた。成藤達の他にも何人か男がいて、その中には部長もいた。耳を傾けていると、どうやら稲子がサセコかどうかについて話しているらしかった。兎と亀が勝負することになって以来、久しく耳にすることのない話題だった。当人がいない場ではともかく、少なくともいる場所ではそれを口にするのは禁句となっているのだろう。兎が集団に目をやった時、一瞬部長と目が合った。部長は紙コップに氷を入れ、誰かに水割りを作っているところだった。すぐに兎は目を逸らし、相変わらず泣いている女の子を見守っているふりをした。

そのうちに、今頼めばやらせてもらえるのかな、という声が聞こえた。じゃあちょっとみんなで頼んでみようか、と誰かが返し、笑いが起こった。別の誰かが、こんなに酒飲んでるのに勃つのかよ、とからかった。ふざけんなよ、と怒鳴り声がした。成藤の声だ。そこから聞き覚えのある声が、でも飲んで勃たなくなったことって実際あります?と質問した。俺あるよ、と答えた者が、その状況を説明しだした。動きも詳細に再現しているのか、ひと区切りするごとに笑いが起きた。兎の頭の中にもその様子が映し出された。視界の中心にいる女の子は、ようやく泣きやんだ。脳の内部で情報がミックスされ、頭の中でその子がベッドに押し倒された。女の子は涙目で覚悟を決めるものの、肝心の男のモノが全く役に立たない。
「ちょっとドライブ行ってくるわ」
話を遮るように突然成藤が立ち上がり、ポケットから車のキーを取り出した。近くの者も不意をつかれたのか、絶句して成藤を見上げていた。成藤は赤い顔をしていたが、それ程酔っているようには見えなかった。OBのひとりがどこ行くんだよ、と聞くとちょっとその辺、と簡単に答えた。そして、稲子ちゃーん、と大声で部屋のほぼ反対側にいた稲子の名を呼んだ。稲子は一緒に飲もうと誘われたのかと思ったのか、どうしたんですか成藤さん、と言いながら紙コップを持ってやってきた。だが、状況がわかるとすぐに「でも飲んでますよね」と真顔で質問した。大丈夫だよ、その辺ぐるっとまわってくるだけだから。成藤は車のキーをぐるぐる回しながら答えた。目は稲子の顔から全く離さなかった。部長が2人の間に割り込み、とりあえずこれ飲んじゃってから行きませんか、と3分の1ほど残った焼酎の瓶を指さした。成藤は一瞬それを見たが、何も言わず稲子に、行こうよ、ていうか煙草も切れちゃったんだ、ちょっと買いに行くだけだから、と言った。

少なくとも成藤の周りと兎のグループはは2人のやり取りを見守っていたが、誰も止めようとするものはいなかった。酔っ払ってわけがわからなかったのもあるし、OBということで無理には逆らえない空気もあった。稲子の話をしているうちに、成藤はその気になったのだ。助手席を倒し、稲子の上に乗る成藤が頭の中に鮮やかに映し出された。止めなければならない。成藤に殴られるかもしれなかったが、それでも間違っているのは向こうだ。あるいは自分もついていくと言い張ってもいい。無理やり我を通せばそのうち興冷めして、出かけること自体なくなるかもしれない。だが、ここで怒り出しても、何ムキになってんの?とからかわれるような気がした。本当にただ気まぐれで稲子を誘い、ドライブに行こうとしているだけなのかもしれない。なんだか訳がわからなかった。酔っているせいか現実感がない。あるいは現実感がないと思い込もうとしている。
ふと、亀ならどうするかと考えた。亀ならやめてください、とはっきり止めるのかもしれない。亀ならそういうのも様になる。周りも、どうせ亀だし、と思うだろう。亀さんて本当に空気読まないよね、と陰口を叩かれればいい。この場に亀がいて欲しかった。亀に犠牲になって稲子を止めて欲しかった。いや、それは駄目だ。それでは亀の株が上がってしまう。

兎が考えを巡らせているうちに、成藤と稲子は部屋を出ていった。稲子は一度も兎の方を見なかった。エンジン音が鳴り響き、その少し後でタイヤが砂利を踏みしめる音が聞こえた。状況を知らない数名が窓に近づき、去っていく車を見送った。

成藤と稲子がいなくなった事に気付いたのは参加者の一部で、それでも大して話題にもならずにすぐに元の雰囲気に戻った。部長も、あの人去年も夜中に車走らせに行ったよな、と言ったきりで、それ以上話題には出なかった。兎は完全に酔いが覚めてしまった。誰かが自分の事を見ている気がして仕方がなかったので、無理に平常を取り繕った。

結局2人が戻ったのは深夜遅くだった。2日目ということもあり、すでに消灯し酒を飲んでいる者もいなかった。エンジン音が再び戻ってきて、その後に慎重にドアを開ける音が聞こえた。稲子がゆっくりと2階に上がっていくのが、気配でわかった。成藤は部屋に入ってくると、窓辺に座り、そこで煙草に火をつけた。その煙草の行く末を見終わらないうちに、兎は眠りに落ちた。