意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

石ころ

おすすめ本がだーっと紹介されているブログを目にしてそれがあまりにおすすめ過ぎるから教科書的というかなんか書いている人の個性が見えなくてつまらなかった カラマーゾフの兄弟がその中にあって「読むと成長できます」とあったが実際に読んだ私に成長の実感なんてまったくなかった 「やっと終わる」みたいな読後感だった ひたすら長くて暗闇さまよっている感覚だった そのくせ終わりは妙にさわやかで肩すかしをくった その後「悪霊」「白痴」も読んだがどんな話でした? と訊かれても何も答えられない 比較的読みやすいと言われる「罪と罰」も夢中で読むというかんじではなかった


あるいは成長は自分が自覚するとかそういうのとは無関係のところで発生するのかもしれない 食事の栄養がおいしさとは無関係というのと同じように しかしだったらその辺の石ころでもなんでも同じ気がする 教養とか心の豊かさとかは体に直接作用するものではないからである 件のブログは「自己啓発よりも」と頭につけていたが自己啓発だって何の成長もないわけでもないだろう 成長にしろ教養にしろ心の豊かさにしろあまり何度も書きたい言葉ではないが内面とはあらかじめ自分に備わったものを掘り起こしたり磨いたりするものである


自己啓発にはいるかはわからないが最近はアドラーばかり読んでいる もうそれしか読めないのである 読書をする脳の機能に穴が開いてしまったようだ かろうじてこの前太宰治を読んだがそれも精一杯というかんじだった 今日もアドラーを読んだら自分の過去に対する解釈がひとつ変わった 変わっても何も起きないがそうやって自分を読み解くのである 私にはもう成長は必要ないのである