意味をあたえる

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十字路(12)

ミキちゃんの「協力してあげるよ」はどの程度の効果をもたらすのかは不明だが、それに期待をかけるのは、いくらなんでも軽率だろう。何より、倫理的によろしくない気がする。いや、恋愛に倫理も何もないのだが、要するに情けなさすぎるだろ自分、て感じである。とは言え、ミキちゃんは結局の所笠奈に返り討ちにあって終了な気がする。だって笠奈には、恋人がいるのだから。その辺の下調べもしないで「協力してあげるよ」と胸を張ってしまうミキちゃんは、やはりまだまだ子どもだ。でも、それを指摘して、大人の女性に仕立てる資格は、もちろん私にはない。
話を戻すが、私の中で、徐々に笠奈への興味を失いつつあった。確かに好きであるなら、例え恋人がいた所で、そんな事が身を引く理由にはならないのだが、その壁を乗り越えるだけの恋愛エネルギーがあるのかと、自分の心の中を慎重に棚卸しした結果、やはりそこまでは充填されていない、という結論に至った。よってこれ以上笠奈に関わっても、全てが徒労に終わるというわけである。
以上、お得意の対自分への誘導尋問である。今までこれを何度繰り返したかわからない。お陰で私の人生は大したトラブルに見舞われることなく、わりかしスムースに流れてきた。ここまで。流されてきた、と言ってもいいのかもしれない。要するに私はただの腰抜けなのだ。

年が明けて塾内の受験ムードが高まり、兼山の態度もぴりぴりしてくる。ここで結果を出せるかどうか、彼にとって正念場なのだろう。わかりやすすぎる。女性講師が成績表を机に広げた兼山に恫喝される場面があったが、それすらも何かに対するデモンストレーションに見えた。そんな風に冷めた目で見てしまうのは、私の兼山に対する感情のせいだろうか。
同じように中学三年を受け持つ笠奈も、切羽詰まった雰囲気を醸し出している。少しやつれたように見える。トレードマークの茶髪は、根元は黒く、毛先に向かってほとんど金に脱色されている。冬になって伸びた髪がコートにぶつかるせいなのだろうか。笠奈は真っ白なダッフルコートを着て、紫色のマフラーを巻いている。
笠奈とは年が明けてから飲みに行ってはいない。最後に会ったのは、クリスマスの3日前の土曜日だった。私たちはただの飲み友達なので、クリスマスについて議論する理由は全くない。ただ、たまたま入ったいつもと違う居酒屋は、白熱灯の照明が弱くて薄暗く、変にムードがあってそれが私を参らせた。もちろん私が一方的に参ってるだけである。周りには何組かの男女がいて、今年のクリスマスは平日ど真ん中だから、今日に振り替えて愛を深めているのかもしれない。ここで適度に酔っ払った後は、ホテルに流れてお互いの体を心ゆくまで貪り合うのかもしれない。それならば私もそんな2人を祝福するという意味で、隣の席のワインに下剤を混入させたり、n号線沿いのラブホテルに、片っ端から火をつけて大いに盛り上げたい。くだらない。
そんな私のどす黒い、あるいは幼稚な妄想と同時進行でも、私と笠奈の会話は滞ることがない。もはや、私たちはお互いの立ち位置がよくわかっていた。笠奈はやはりどこかずれたところのある女で、例えば映画はほとんど見ない。本人いわく、何か嘘っぽいところがあって、真面目な映画とか恋愛ものはおかしくて、まず最後まで見られないらしい。見れても、パニック系と戦争ものに限るとか。なので、多くの人間の共通項であるジブリ映画とか、ショーシャンクの空トークができない。映画に限らず、そういう「あ、私そういうのしないんだよね」みたいな反応は仲良くなりかけた頃には、よくあった。だが、そういうのが出尽くした頃には逆に私の方から「あ、笠奈はこういうのしないんだよね」と嫌味っぽく言って、からかえるようになった。
それに対して笠奈も私のことを「変な人」とよく言う。もちろん他の人間にそんな事言われたことないし、大体自分の変わってる部分なんて、自覚できるわけない。なので当然の権利を行使するように「どこが?」と尋ねるわけだが、それに対しての笠奈の回答は常にはっきりしない。私が聞き返してくるのが全くの想定外のように「なんとなく」と言葉を濁し、そして笑う。そうやって質問すること自体奇妙だ、と言わんばかりに。
私は笠奈が笑い出す度に、以前、私が笠奈の催眠術にかかって見た、夢のことを思い出す。笠奈が狂ったような爆音で笑い声を上げ、飲み屋全体が傾いた。それは大袈裟に言えば、私の中である種のトラウマとなり、何かの拍子に笠奈が笑うと反射的に体が硬くなり、その後の変化に敏感になってしまう。もちろん現実にあのようなことが起こるとは考えられないが、現実と夢の境界を見落とすことはよくあるし、あの時は実際にやらかしたのだ。酒も入っていたし。
だからと言って、私が笠奈の笑いに警戒してることを、悟られてはいけない。知られれば当然それをネタにされて馬鹿にされるだろうし、笠奈は私の前で自然な笑顔をつくりにくくなる。
自然を装いながらこそこそ盗み見るように、笠奈の笑顔を観察する。実際の笠奈の笑い方は、夢で見たものとは違って、それ程派手ではない。品があると言ってもいい。笑いのレベルが一定以上に達すると、口元に手をやるからだ。半ば無意識の、癖のようなものなんだろう。大抵は手を開いて抑えるが、笠奈の場合はげんこつを握る。そういうのがいかにも癖っぽい。右のげんこつを内側にひねりながら、小指の付け根あたりに唇をつける。それに伴って顔はうつむき、下がった前髪が目を覆い隠し、それに抗うように真っ黒なまつ毛が際立つ。笠奈は髪に合わせて眉毛の色もいくらか抜いているから、まつ毛だけが何にも染まっていない、笠奈そのものの色だ。なんて考えると、人の手が入っていない、ありのままの自然風景を見ているような気分になる。そしてあまり長くもない癖に、無理に上を向かされている毛並みが幼く見え、そこから改めて笠奈全体を見回すと、ひどく頼りない女のように思えてくる。
笠奈の頬が下がり、口元が元のポジションおさまると同時に、笠奈はこちらに目を向ける。上目遣いの視線が、他でもない私を捉えている。私はここまで笑顔を注視していたわけだから、当たり前のようにまともに目が合う。普段は笠奈に限らず、私は人の目を見てあまり話をしない。そのせいなのか、私はこの不意に訪れるこの視線のやり取りに、どう対応していいのかわからず、半ばお手上げの状態で笠奈の視界にとどまっている。すぐに目線を外したいところだが、その行為が何かしらのメッセージ性を帯びてしまいそうで、うまく外すことができない。できれば笠奈の方から「ちょっと見ないでよ」とか言って、テーブルの端で丸められている紙ナプキンを投げつけてきてほしい。笠奈の目はわずかに潤んでいて、唇にくっつけた右手が徐々に内側にスライドし、口全体を隠そうとしている。まるで、口から出る言葉は全て嘘、私の目で語る言葉を読み取って欲しいとでも言いたいみたいに。なんてロマンチシズムに溺れそうになりながら、私は必死でリアリズムの手すりにしがみつき、自分というもののこの物語でのポジションをキープしようと努める。目は目だ。笠奈は私の泳ぎまくってる目を見て、楽しんでいるだけだ。
ところで、ここまでどの位の時間が経ったのか。という考えに行き着いたところで、ようやく私はこの不毛な視線のやり取りから解放される。体を傾けてポケットから携帯電話を取り出し、電源ボタンを押して画面を表示させる。大きなデジタルの数字が4つ並んでいるが、一体どれだけの時間が流れたのかはわからない。そもそも何時何分から、笠奈と見つめ合ったのかがわからないからだ。私はこの行動が何の意味もなさないことに、ポケットに手をやるまえから気づいている。
そんな風に気まずい思いをするくせに、私はレジの前で財布から千円札を数枚出す頃には、そんなことは忘れている。そして、次に飲みに行った時に、再び同じ過ちを繰り返す。愚かな私は必要以上に笠奈の笑顔を覗きこみ、そしてその後の、真剣な目線に足をすくわれる。笠奈の方だっていい加減「気持ち悪いよ」指摘してきても良さそうなのに、何も言わない。徐々に笠奈の目に慣れてくると、その理由についてじっくり考えそうになるが、私はなんとかその思考を止める。本当はにじみ出るみたいに、ある種の馬鹿げた妄想が膨らむが、それはここでは書かない。