意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

音楽室(私と先生)

「音楽室」は7年前に書いた小説で、最終話だけ書き下ろしである。「十字路」と同じ頃に書いたがそれと比べると今回の掲載にあたって手を入れた箇所は圧倒的に少なかった。理由のひとつとして主人公の性別の違いがあって、男性が主人公の場合私と同じだから気持ちを書きすぎるのに対し、女性だとわからないから一定の距離を保とうとする。
ただ書きながら飽きてしまったところもあり、同時に当時は前衛的な小説にもハマっていたから段々と先の読める展開が嫌になってしまい、最後はめちゃくちゃな終わり方をしてしまった(地震が起きて登場人物が入れ替わってしまう的な)。7年経ってそういう熱も冷めたのか、普通の終わり方をしたいと思って書き下ろすことにした。なので、文章の感じが他と違うのである。さらに心境の変化もあって、愛華がひどい目に遭って終わるのではなく、その後きちんと自信を取り戻してもらいたいと思った。タヤマ先生が献身的に愛華を世話することを「友達だから」と説明し、愛華はそのことをあまり理解できずに元の感じに戻ってあっさり芳賀くんを振ってしまう。私はその理解できない感じが無邪気でいいなあと思った。高校に行ってもまた誰かを傷つけたり痛い目に遭ったりするのだろう。タヤマ先生もまた、優しさが孤独と裏表であることを悟るのである。よく優しい人は強い人と言われるが、私はその強さとは孤独にたえる強さだと解釈している。でも優しい人は弱い人とも言われる。

振り返ると出会えて良かったと思える先生は2人いて、ひとりはドラムのレッスンに通っていたときの先生で、その先生はプロのドラマーというわけではなく、普段はビルの清掃の仕事をしていて結婚もせず年金も払わず体が動かなくなったら死ぬと宣言していたダメ人間だった。私はこの先生を心底尊敬していて先生のように生きたいと思ったが、ついに叶わなかった。ドラムはもちろん、Jazzや三島由紀夫も教えてもらい、レッスンの後に夢中で話をしたのを覚えている。

もうひとりは高校の現代文の先生で、この人は女で怒ると机を投げつけるという怖い人との話だったが、私のクラスのときは穏やかだった。私はこの先生との相性が良く、私はよく軽口を叩いたし、向こうも生徒の作文を匿名で読むコーナーで、何故か私のを読むときは私に向かって公開でダメ出しをするということをした。私の高校は卒業に向けてなんでもいいから制作しなさいというのがあって私は友人と小説と詩を書いたが、そのときにもこの先生に指導教員になってもらい、文章の手ほどきを受けた。おかげで私たちの作品は賞をもらったが、順位で言うと2位で、私は当然1位と思っていたから卒業式の後で文句を言いに行ったら「賞をもらって文句を言うなんて、あなたらしいわね」と笑われた。