意味をあたえる

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歩道橋(10)

環さんと4日目から連絡がとれなくなった。課長には音信不通の件は伏せ、「風邪をこじらせたようだ」とだけ伝えた。課長は環さんが誰だか、あまりわかっていないようだった。人が多すぎて誰が誰だかわからないのだ。従業員は50人いて、稼働当初予定していた人数の2倍になった。どうしてこんなに人が必要なのか、会社側は全く理解していなかった。ただ、溜まった商品を流すために、薪を火にくべるみたいにどんどん人をとった。私も何度も本社に呼び出されて聞き取りをされたり、レポートを提出させられたが、私自身も工場内で何が起きているのか、わかっていなかった。ただの商品管理に現場監督は無理だったのである。課長は私よりは状況をわかっている風に私に指示を出すが、私はその半分もこなすことができなかった。私はそれについて最初は反省をしていたが、だんだんと課長のほうが無茶苦茶を言っているんだと思うようになった。課長は指示さえ出していれば、自分の仕事は済んだと思っているのだ。

私の精神は当然ながら消耗した。2週間に1度はさばききれなかった商品の受け入れ先を探さなければならなかった。それは他の工場だったり、新たに探し出した倉庫だったりした。他の拠点の工場長が「君はもうよくやったのだから、早く役から降りた方がいい」とアドバイスをくれたことがあった。確かにそうかもしれないと私は思った。高田馬場に通っていたときのことを繰り返してはいけない。私は仕事がしんどくて、昼休みによく神社の石段に腰かけて泣いていた。今は泣きはしないが、夜の公園のブランコに腰かけて辺りを眺めたりした。S区の公園にはプールがあって、もう少ししたらそこで泳ぐ子供の姿が見られるのだろう。季節は6月だった。私は翌日メモの切れ端に自分のIDを書いて、環さんに渡した。返事がくるまでに何日かかかり、私はその間絶望的な気持ちだったのは言うまでもない。諦めかけた頃にメッセージがきて、そこには「やっと子供に設定してもらえました」とあった。彼女はSNSに疎いのだ。

私は早速昼間課長に言われたことを伝え、ちょっと仕事を辞めることを考えていると伝えた。
「そうですか......。そんなにしんどいのなら、仕方ないかもですね」
「ごめんなさい」
「じゃあ、わたしもやめます」
「いや、環さんは残ってよ」
「イヤです。福園さんがいなきゃ、つまんないもん」
「もっとちゃんとした人が来ますよ」
「そんなの辞めるあなたには関係ないでしょう?」
「そうだけど。でもやめられたら後味悪いっていうか」
「福園さん、それはわたしも同じです。少しはわたしの気持ちも考えてよ」
気持ちを考えてほしいのはこっちなんだけど、と思ったが黙っていることにした。
「じゃあ、あと1週間くらいがんばります」
「良かった。応援しますよ。課長なんかに負けないで」
「敵ではないけどね」
「わたし、あの人苦手。話しているときベロ出すんだもん。いやらしい」
なんだか真面目に話しているのも馬鹿らしくなってきたが、私の心はいくらか軽くなっていた。それから私は帰り道に頻繁にLINEをするようになった。だいたいは私の愚痴だが、たまに環さんの愚痴だったり、あるいは職場の改善提案がなされたりした。

環さんと連絡がとれなくなって以降、LINEも既読にはならなかった。