意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

壁の向こう

■壁の向こうがとても騒がしかった。壁の向こうは駐車場でそれは飲食店の駐車場で店舗は中二階にあった。食べ放題のチェーン店であった。価格は安いので若い人がよくくる店であった。だから騒いでいたのは若い人なのだろう。しかし騒ぎ声だけでは年齢はわからなかった。姿はまったく見えないのでなんだか壁自体が騒いでいるようで不気味だった。伊藤淳二の漫画でそんなのを読んだ気がする。何ヶ月か前に何冊か読んだが途中で気持ち悪くなって読むのをやめてしまった。


■お米を研ぎながら音楽を聞いていたらイエモンの聖なる海とサンシャインがマッチすることに気づいた。あの曲のPVはボーカルの吉井和哉が女をおんぶしてうろうろする映像だったと記憶する。お米を研ぐ格好が前屈みで、人をおんぶするのに似ていたせいかもしれない。特にAメロがマッチした。米同士がこすりあう「じゃっ」という音が女をおんぶして河原を歩く足音に似ていたせいかもしれない。


■今日はここまで

読書をがんばる

年をとったせいなのか、スマホの画面を見続けるのがしんどくなってきた。老眼はまだない。ただ画面を見続けるとほとんど文字が読めなくなる。読書をしようと思った。私は読書は電子書籍がいいと思っていた。なんせ場所をとらないし保管場所とか処分のことを考えなくていいのは楽だと思った。スマホは財布を持たないことはあってもどこでも持ってるから、家に本を忘れてしくじったと思うことがなくて、効率化の極地のようにかんじていた。しかし目が追いつかない。幸いにして寝ながら見ていても眠れなくなることはないが、目は見えなくなる。目が見えないと何もできない。何かの栄養が不足しているのかしら。ビタミンなんとか。そういえば少し前にものもらいができた。朝起きて本当に視界が狭くなった。目薬を薬局で買って、熱心に差した。結果的に良くなったがとても苦い薬でした。どうして目薬が苦いかというと、なめたのではなく、目の奥から喉の奥に下がってきてしまうのである。頭蓋骨の表面を滑り降りてくるというか。それで「むむむ」と険しい顔をしながら仕事をしたが、マスクをしていたから誰もわからなかった。


昨日は村上春樹のエッセイを読んで、それからミステリーを読んでいる。会社の昼休みもそれを読んだ。大して面白くはない。もっと面白い本を私は知っているが、面白い本はもっと元気がないと読めない。読書とは運動であり能動的でありつばぜり合いなのである。でもそうでないのも当然あって、しかしそれは退屈なのである。それでも私は今一生懸命文字を追って時間をつぶしている。時間をつぶすなんてもったいないと思うかもしれないが、時間を有効活用しようとしたなれの果てが今なのである。

村上朝日堂の逆襲を読んだ

私が初めて読んだ村上春樹の小説は、ねじ巻き鳥クロニクルで、90年代の終わりで、ノルウェイの森も売れて小説を読まない人でも名前は知っているというかんじだった。表題の村上朝日堂の逆襲は多分何冊か小説を読んだ後に初めて手に取ったエッセイで、読んだのは2000年代に入ってからだが、文庫がでたのは平成元年で、雑誌に連載していたのは85年ころである。その頃の村上春樹がどの程度の人気だったのかは知らないが、少なくとも今みたいなノーベル賞取りそうで取れない人ではなかった。


初めて読んだ頃は意識しなかったが、今改めて読んでみると、大御所感はまったくなく、若手の一作家という感がのびのびしていて読んでいるこっちも和んだ。村上春樹が大御所なのかはわからないが、最近書いたものを読むと、この頃よりもずっと慎重に文章を書いている印象を持つ。今は総じて窮屈なのである(それでも本の中で以前に比べたらだいぶ窮屈になった、と書いてある。「昔よりも車が増えた」なんてあって時代を感じる。以前読んだときはそんなことはまったく思わなかったが、私自身も年を重ねたからそう思うのだろうか。

私は十代後半からエッセイを好んで読んでいて、さくらももこから始まって、吉本ばななとか、原田宗典とかが好きだった。単純に笑えるからである。村上春樹のエッセイは笑いの部分では、これらほどではなかったが、一本気のようなものを感じ、結果的に私の人格形成に大きく影響をあたえたと思う。例えば表題のエッセイでは「批評を批評してはならない」とあって、私自身もブログをやりながら、そういえばネガティブなことを書かれたこともあったし、なんなら「そういうことじゃないんだよ」と反論もしたくなったが、こらえるようにしてきた。今の時代にそういうのが正しいのかはわからないが。


一番読んだのは「そうだ。村上さんに聞いてみよう」という読者のメールに答える形の書籍で、その中でもやはり、とぼけた回答の中に自分の考えを真摯に述べている箇所があって、独特かもしれないが、自分はこの考え方でやっていく、みたいな答え方をしていた。)

作文が苦手だった

実家に帰ったら私が小学一年生のときの文集が出てきてそれを私の子供が読み上げて、妻が「読み方に悪意がある」と言った。私は子供の書く文章にも面白いものがあると知っているが、私の書いた物はてんでダメだった。私は作文が苦手で何を書いていいのかわからず、苦痛だったのをおぼえている。わからないといのは、もちろん書くことはあっても、それが周囲に読まれて恥ずかしい思いをしたり、教師に注意されたり、そういうことを避けるにはどうしたらいいのか、と悩んでいたのである。例えばそれは絵でも同じだった。私の子供は私の絵が上手だと褒めてくれたが、私はやはりその絵を見る気にはなれなかった。お祭りで複数の人がお神輿をかつぐ絵が書いてあったが、教師の欄に「どこのお祭りかな?」とあって、私はどんよりとした気持ちになった。日付からそれは地元の祭りであるとみんなで推測した。お祭りは子供の頃は楽しかった。

小学一年生は息苦しさをかんじることが多かった。それは担任の坂井先生が厳しい人で、悪いことをすると椅子を取り上げられたりした。物の管理が下手くそで、朝顔の成長記録の途中をなくしたり、計算ドリルを何枚かなくした。計算ドリルは通番が揃わないと、進級ができないから春休みに学校へ行く羽目になった。通知票の裏表紙に校長の名前が印刷されていて、そこに印鑑が押されないと二年生になれないのである。ちなみに校長の名前の最後の一文字に印鑑が重なってないとそれは偽の印であると教えられた。後にも先にも進級にここまで真剣になったのはこの一度きりである。叱られて椅子をとりあげられたとき、上手に謝れないと返してもらえなかった。帰り道に謝りの口上を考えながら帰っていたのをおぼえている。その道は工事中で舗装がはがされていた。


しかしながらだから今の私があるだとか、今の子供はうらやましいだとか、こんな思いを他の人にさせたくないだとか、そんな風に考えるのはもういいだろうと思うようになった。私は自分が子供のときに自分が子供だとは思ったことはなく、今の子供は自分を子供だと思っているように見えるが、本当のところはどうなのかはわからない。何かが変わったようで、何も変わっていないのかもしれない。昨日オートバックスで私の前に並んでいた女はおそらく私よりも年下で肩幅も狭かったが、とても地味な服装をしていて、子供たちはその人を「おばさん」と呼ぶのだろうな、と思った。しかし私はその人を女として見ることも可能なのである。自分が年齢を重ねて、世の中の見え方が変わるのはとても不思議だ。

映画を早回しで見るのは単に退屈なだけ

「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来(稲田 豊史) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

保坂和志が著書の中でどんなに途中で面白い小説でも残り1ページで退屈になったらそこで読むのをやめると言っていて、それはつまんなにのに無理して読むのは作者に対して失礼だという意味で確かにそうだと思った。私もさすがに残り1ページくらいなら惰性で読んでしまいそうだけど、無理して読み進めるくらいなら、そこで意識して止めてしまうようになった。私は映画はほとんど見ないからマンガや小説だが、マンガは鬼滅の刃なんかは面白いところもあったけど、いちいちリーグ戦みたいに、登場人物が過去のエピソードを持ち寄るのにはちょっとつき合いきれなくて読み飛ばした。ストーリーがわからなければ少し戻って読めばなんとなくわかるのである。もっと言えばストーリーがわからなくても読んでしまえるのが漫画なのである。絵に引っ張られてページをめくり、気づいたら最後まで来てしまうのである。誰が死ぬとかラストはどうかとかだけつかんで、二回目に臨むのが私の漫画の読み方である。


引用元で、飛ばし見をして伏線を見落としたらどうするのかみたいなことが書いてあったが、どうして2回目、3回目に見ることを想定しないのか不思議である。私はどちらかと言えば伏線についても飽きてきた感があり、伏線は見つけた人が利口な人と勘違いさせてしまう装置である。昔ジーザスクライストスーパースターを見たときに、香油を塗ってもらうイエスにユダが「香油買う金があるなら貧しい人に施せよ」とさんざん文句言ったらいざ裏切ったときにアンナスに金貨をもらって返そうとしたら「受け取るの嫌なら貧しい人に施しておやり」と言われて、ぐぬぬ、てなって何がぐぬぬなのかと言うと受け取ったらイエスを金で売ったことになるけど、過去の「施せ」と言った自分と統合性がとれなくなるから、受け取らざるを得なかった。それが私はすごく愉快で、友達に「皮肉だよな」と持ちかけたら「まったくだ」と返されて、私はこの皮肉に気づくのは私くらいだと思っていたからものすごくびっくりして、同時に恥ずかしくなった。以来伏線が苦手なのである。

会話のリアリティ

友達いなさすぎて文中で人の会話が書けない

会話とはだいたい意味不明なもので、一言で通じないのが普通である。自分の普段の会話に注意してみると、文法は即興で、とりこぼしたところを後から補足していることがすごく多いことに気づく。相手が補足してくれる場合もあり、そこから「会話」が生まれることが多い。


リアルな会話文とはそこを意識しなければいけないと思う。つまり意味不明に書くことである。私はそう思っていて、だから漫画やアニメなどの会話が説明的すぎてシラケルのである。日常でそんなに一気にしゃべったら呼吸困難になるのではないかと心配になる。喉も乾くだろう。


しかし段々とそれも仕方ないのかな、とも思うようになってきた。それでも映画などはまだ気を遣っている風にも見え、だから会話のやりとりを聞いてもストーリーが見えない、ということがよくある。映画というのはわからない美学みたいなのを感じる。私なんかは物語を深く読む(観る)ことなんて滅多にないからあの場面のあのやりとりにはこんな意味があった、と聞いても「へぇ」となるだけである。

眠い・頭痛

割と健康だ。幼い頃は小児喘息を患っていて、学校などしょっちゅう休んだ。月曜の支度をしたら月曜から休み続けてようやく復帰できるから翌日の用意をしなきゃとカバンを見たら翌日は月曜で儲けた気持ちになったのをおぼえている。しかし翌日の準備を真面目にしたのっていつまでだろう? 私の子供なんかは私よりも丁寧に生きていてその辺は抜かりがなさそうだ。


小児喘息は大人になるまでにいつのまにか治ってしまい、しかしそれでもまだまだ体は弱かった。新宿駅で倒れそうになったことがある。頭が割れるように痛くなったり。風邪で喉を痛めて声が出なくなったり。原因がはっきりしないものもあった。30くらいまでそういうのがあった。30代半ばから健康になってきた。季節の変わり目を気をつければ良かった。体調が悪いときはモンスターエナジーとかアリナミンVを飲んで早くに床についた。ライフガードを飲むと、よく学校を休んだときに母が買ってきてくれたのを思い出して嬉しい気持ちになった。ライフガードって今はとてもジャンクな飲み物のイメージしかないが、初めて見たときはサバイバルの御用達的な飲料かと思った。当時は1リットルの容器だった。


コロナが流行して熱心に消毒をするようになったら、いよいよ風邪も引かなくなった。たまに体調の悪い夢を見るくらいで、起きると普通だった。熱を計るといつも35度代だ。みんなかつてないほど清潔だ。


それがここ2日くらい頭が痛い。暖かくなったからだろうか。薬を飲んだら少し良くなった