意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

大人は論破しない

私は大学生の頃に、友人と議論をしたときに何を言っても言い返されるので黙ったら
「俺には口では勝てないよ」と
言われ、当時は論破なんて言葉はなかったが、明らかに論破された瞬間だった。私は元々論理的に話をするのが得意だったから討論とかそういうのは好きだったし今でも自論をひけらかせば「なるほどね」という雰囲気にはなる。一方でやはり論理的な話が得意な人とぶつかるとラップバトルと同じでいかに論理を途切れさせないかという雰囲気になってもはや本論も各論もなくなってしまう。例えば「あなたのAと主張していたが行動と矛盾していませんか?」という議論があったとして、相手がそれを認めたくないとなったら箸でも棒でも投げつけて応戦するのである。つまり手元に投げつけるものをたくさん用意できる人ほど勝つのである。私は箸を投げつけられたときに、「もういいや」という気になって降りてしまったのである。もちろんそれが悔しいときもあったが、少しずつ気にならなくなってきた。一方的な主張にはぱっと道をあけられるようになり、それが美徳と感じられるようにすらなってきた。


もっとも仕事となると話は変わってきて、こちらが主張することも多くある。しかしそれもこれからどんどん少なくなる。それは年上の先輩とか上司に対してのみ行うからであり。今や私が年上になってしまったからである。年上の人なら私の主張に「バカやろー」と力で押さえ込んでくるからやり取り自体が楽しかった。ずっと年上の人である。少し年上くらいだと私が言うと黙ってしまうので、そういうときは早々と店をたたんで「どうぞ」とやるようにしている。

キーホルダーがほしい

ちょっと前に自転車を買った。新しい職場に移って単身赴任を始めたときに距離が2キロメートルほどだったのでそのときにも買ったのだが、そのときは通販で車輪の径の小さいおしゃれなやつを購入したがすぐに後悔した。ペダルを漕いでも漕いでもスピードが出ないため次々に後続の自転車に追い抜かれる。私の住んでいる町はとにかく自転車に乗っている主婦が多くそのほとんどが電動アシスト付きだからとてもかなわないのである。もちろん競争しているわけではないからスピードはほどほどでいいのだがアパートの駐輪場はあまざらしなのですぐにチェーンが錆び、ますます乗り心地は悪くなった。


それでも2年半乗り続けたがついに後輪がパンクしてしまった。修理も可能だったがそれなら新しいものに買い換えようと思い、近所のホームセンターへ歩いていった。私の子供の頃は自転車の相場は1万円だったがさすがにそこまで安い自転車はないと教わっていたがやはり2万円近くすると即決する気にはなれなかった。違うホームセンターも見てみようと歩き出したらたまたま自転車屋さんを見つけ、そこは昔ながらの自転車屋といったかんじで、店頭にリサイクル車というのが安く並べられていたのでそれを買った。「パンク修理とかできます?」と聞いたら当たり前だと笑われた。私ももういい年をした大人だから少しは話をしてやろうと思い、「通勤で乗りたいんです」と言ったら「駅ですか?」と訊かれ違うので「いえ、○○の方です」と会社の地名を言ったらそれ以上会話は続かなかった。


新しい自転車は信じられないくらい乗り心地が良くさすが店主が「しっかりメンテナンスしてます」と言うだけあった。店主は白髪交じりの初老の男で、ツナギを着ていて、店の中には石油ストーブが置いてあった。つまり職人風情だったのである。その職人が調整したのだから、乗り心地が悪いわけがなかった。とにかくペダルを漕いでもどこかがきしむということもなく、すいすいと進む。普通はスピードを稼ぎたくてサドルをあげるが、あまりに快適だからこのままでもいいと思ってしまう。


私はかつて子供の頃に自転車を乗り回していたことを思い出した。私の家は田舎だったので、友達と遊ぶのに自転車は必須だった。下り坂で目一杯漕いで史上最速を目指すのが常だった。今はそんなことは怖くてできない。止まれの標識を見落とすと事故を起こしかねない。

遅刻の言い訳

遅刻するときに例えば10分くらい遅れそうでも「15分ほど遅れます」と少し盛って連絡しておくと実際に10分遅れで到着すると印象が良いという記事を読んで「それは詐欺の手口では?」と思った。最初にかなり高めの金額をふっかけて渋ったらまだまだ高いけど最初よりもずっと安い金額を提示すると売れやすくなるというやつと似ていると思った。または家を買うときは金額の感覚が狂って10万程度の高い安いを気にしなくなるというのに似ている。昔知り合いの大工が「全然気にしなくなるんだからすげーよな」としみじみ言っていたのを思い出す。その人は大工でとっくに独立しているのにいつまでもアパート暮らして変なかんじがした。結婚したが離婚して、もっと狭いアパートに引っ越すときに手伝ったことがあった。引っ越す前のアパートは2本の道にはさまれていてそのどちらからも敷地に入れるようになっていて要はつっきることができたのだが何故か当時はそれがすごく奇妙なかんじがした。その途中で腹が減ったとなってマックに行こうとして前を通ったらドライブスルーが並んでいて、それを見たら
「マックなんて並んでまで食べるものじゃない」
と素通りして違うものを食べた。確かに並んでまでして食べるものじゃないと当時は思ったが今はマックはとても混んでいるので並ぶことが多くそのたびに「並んでまで食べるものじゃない」と言われた当時を思い出す。マックは今では大人気でドライブスルーの会計すると対応の店員が同時に別の車のオーダーをインカムでとっていたりするから曲芸を見ているような気分になる。

理想のリーダーとは

理想のリーダーについてまとめられた記事を読んだが首肯できるぶぶんとそうでないところがあった。私としてはあくまで理想という前置きがつくが、決してチーム内でいちばん能力やスキルがあるという状態にならないということだ。そうしないとメンバーを一目置くことが大変になるからである。人は他人のあるがままを認めるのが大切ということであるがこれは人としてひと皮向けないと難しい。特段長所のない人を認めるには心の中で下駄をはかせなければならず、それがなかなか大変なのである。だがら何かしら秀でた人といる方が簡単に尊敬できるし尊敬できると関係を作りやすい。


細かいことは他にも色々あれど、とりあえずこれだけ気をつけていればあとはどうにでもなるような気がする。メンバーの方がスキルがあったら舐められちゃうんじゃないですか? という意見もありそうだがリーダーに必要なのはスキルではなく覚悟でありその覚悟とは矢面に立つ覚悟である。逆に言えば矢が飛んでこないチームならばリーダーは不要であり各自が勝手に理想を追い求めれば良い。バラバラになるからまとめ役がみたいな話もあるが小さくまとまるか大きく霧散するかの一長一短だからバラバラならそれでも良いのである。

人付き合いの学び方

子供時代はあまり主張ができなかったので主張の強い子の腰巾着になることが多かった。何しろ引っ込み思案で常に腰が引けている私に対し彼らは行動力が強いから一緒にいると世界がどんどん広がった。一方で使い走りのようなこともさせられて結構早い段階でそういうのがしんどくなってきた。突然呼び出されたり無茶な要求をされた。やがてそれがあるときいじめになって私もその対策をとるうちに、誰とでも距離をとることを学んだ。


私の子供が中学生になって、仲のいい友達について昨日話を聞いたら容姿についてネタにされたり写りの悪い写真をSNSに投稿されたりして、要は下に見られているとのことだった。「話を聞く」ということだったので具体的なアドバイスはしなかったが、私はその人とは縁を切るべきだと思った。友達付き合いで消耗するのはナンセンスだと思ったからである。しかしその一方でそういう風に1か0かの判断も性急すぎる気もした。私は自分を守るために他人は誰でも自分を傷つける可能性があると思いながら生きてきた。しかし大人になってそれが一方的な考えに過ぎないことにも気づいている。傷つける可能性もあれば助けてくれる可能性もあるのである。だからやっぱり「縁を切るべき」というアドバイスはしなくて良かったのかもしれない。しかしそれでも私は少しでも孤独に強くなりたいとは思っている。

携帯があれば生きていける

親知らずの治療のため山の上の病院まで来た。本当に山の上かはわからないが坂はのぼった。さびれた駅を降り、しかしここは大学が近くにあるから若い人が多かった。私も大学生に遠目からなら見えるかもしれないと思ったが、すれ違う学生の顔はみんな幼く、せいぜい小学生にしか見えない。私は小学生のように振る舞わなければとても大学生になんかには見えないのである。そういえば甥の小学生などは幼児同然で、私が小学生の頃は子供っぽいのは恥ずかしいと思ったが今は平然と幼児然として時代は変わったと思う。小学生になる直前に母に添い寝を希望したら父に「そういうのは小学生になったらやめたほうがいい」と注意された。寝室の和室から見える廊下の壁の木目が、人の顔に見えて怖かったのである。添い寝をやめるためには壁を取り替える必要があったが、それを申し出る勇気はなかった。父が怖かったのである。しかし添い寝がないときは一刻も早く寝ようと集中するから案外すっきり目覚められるものである。


大きな病院は完全に分業化されているためあちこちに行き来して大変に時間がかかった。レントゲンのあと
「先ほどの場所に戻って」
と指示されてどこなのかわからなくなり取り乱しそうになった。それでも目的があるのは考えることを放棄できて楽だ。間違えたら正しい行き先を聞けばいいのである。私にもまだまだプライドがあるが間違えてもひょうとしているようになりたいものである。


レントゲン写真を光る壁に張り付けているのを見て、かつて私は頻繁に病院を訪れる子供だったことを思い出した。私は小児喘息で幼い頃は毎週水曜か、隔週水曜に病院へ行かなければならなかった。病院は隣町にあり、車でゆうに30分かかる距離だった。発作が起きたり具合が悪くなると車の中で嘔吐するので後部座席にはバケツが置かれていた。前述の光る壁も含め、それが私の日常風景だった。


ふと記事を下書きにしてみたらこの記事のタイトルは「携帯があれば生きていける」だった。これは待ち時間にずっと携帯をいじっていたからで、家でも病院の待合いでもやっていることは同じだから待つという行為は携帯のおかげでなくなったのである。

サラリーマンやってます

会社というか組織というかそういうところはより効率的になって生産的になることが良しとされていて成長が持て囃される。私はそういうこととは無縁に生きたいと思っていたがやはり成長の魅力に抗うのは難しい。私は学校を卒業してからもしばらくはアルバイトをしていてコンビニの店員をやっていたがスーツを着た会社員がいつも偉そうにしていたのでどれだけ偉いのか知りたくて就職をした。もちろん他の理由もあるが私は就職氷河期の世代だったから会社勤めしていなくても「不景気だから仕方ないね」と思われる節があって楽だった。


私はできるだけ楽な仕事がしたいと思いながら就職先を探したが、運良くそういうところを見つけるところができた。しかし毎日早く帰れたりするのは良かったが段々とマンネリ化してしまった。それで結局辞めてしまったわけだがこれは結果的に失敗だった。もっと稼ぎたい、と思ったら楽さが抜けてしまったのである。神田川のそばで泣きながら仕事をしていたのがどん底で、そこから徐々にまた楽な仕事にシフトするようになった。


今の会社は入ったときは本当に楽だったが途中で社長が替わってそこから徐々に締め付けが強くなってきた。しかも私の中でまたマンネリ化してしまい、そろそろ転職でもしようかしらと思っていたら別の仕事にも関わることになってマンネリしなくなり、退職も回避されて今に至る。