その血の量は半端なくティッシュを2枚とってそれを拭き取ったのだが、手についた鉄のようなにおいは風呂に入るまで取れなかった。奇妙なのはこれだけの血を吸われたのが、家族の中にいないということだ。私も特に痒いところもなく、昨晩も蚊に刺された痒みで目を覚ますこともなかった。
ところで昨晩見た夢の話だが私は東急ハンズにいて、それは池袋の東急ハンズで、私は10代のころは何を買うわけでもないのによく東急ハンズの店内をうろつき、そのため夢の中の風景も当時のものであった。私はそこまで車を運転してやってきていて、池袋から電車でひと駅も行けば母方のおばあちゃんちがあるのだが、ちょっとした気まぐれを起こした私は、そこまで弟と二人で歩いて行くことにした。すると思ったよりもずっと短い時間でおばあちゃんちにたどり着くことができた。私と弟がおばあちゃんちに着くとおばあちゃんは冷蔵庫から好きな飲み物を取ってきな、と言い、私と弟が躊躇していたら、おばあちゃんの場合はいいんだよ、と言い、それは私は普段母から他人の家の冷蔵庫を開けるなと厳しく注意されたことがあり、しかし考えてみるとおばあちゃんは他人ではないので、躊躇するのは滑稽だった。おばあちゃんはもしかしたら私が躊躇するのを寂しく感じたのかもしれない。だから、私は当時電子工作にハマっていたのでおばあちゃんちの炬燵の上で電子工作のカタログを広げているとおばあちゃんがやってきて、
「どれが欲しい?」
と聞くとお風呂のセンサー付きアラームが欲しいと言い、おばあちゃんちの風呂は水を張っていても勝手に蛇口が締まるわけではないので、そのキットのセンサーを風呂桶の内側に貼り付ければ任意のところに水位がくればアラームが鳴って知らせてくれるので、水を無駄にせずに済むのだ。おばあちゃんは戦争を経験しているから、もったいないことが許せないのだ。
しかし、私がお風呂センサーをプレゼントする日はついにやってこなかった。いつも頭の片隅にそのことはあったものの、私は小遣いが貯まると、自分の欲しいものを買ってしまった。おばあちゃんは金持ちだから、私がプレゼントすれば喜んで1万か2万はお小遣いをくれるだろうが、当時の私はそこまで計算高くなかったのである。ちょうど電子工作の新シリーズが登場したとのチラシが送られてきて、それは確か総額3万3千円のキットであったが、私はお年玉の全てをそこにつぎ込み、届けられる日を今か今かと待ちわびた。ちなみに私のお年玉は最高額でトータル4万円を超えるのがせいぜいだったが、クラスメートの中には8万とかもらえるひともいて人もいたので私は驚いた。
そうしたら新しいキットが届けられたのはちょうどカルタ大会の日で、私はカルタ大会など全く出たくもなかったのだが、母がその時は地区の役員をやっていて人数が揃わないので私が出ないわけにはいかなかった。カルタは3人1組の団体戦で、私以外の2人は女だったので私は尚更憂鬱だった。2人のうちの1人はくらすもクラスも同じだったが、白いセーターを着て、普段からは考えられないくらい無口だった。カルタ大会は1回戦で負け、相手チームは3人とも女でしかも年下だったから尚更悔しかったが、家に帰るとキットの小包が届いていたので、私はなんとなく今日あたりくるだろうなと予想していたので、予想も当たったから尚更有頂天になった。早速半田ごてを温めてその日のうちに全部組み立て、それがどんなキットだったのか、形などは思い出せるがそれは小さなブロックごとに分かれた剥き出しの回路で、コードのつなぎかたで音がでたり、簡易的な嘘発見器ができたりとか、そんな代物であった。それから数日が経って、雪が降った日に友達の家にそれを見せにいくとちょうどその回路が入る巾着袋があったので、それに入れて家に行ったのだが、その巾着袋とは、春先に弟が事故にあって左足を骨折した時にはめていたギブスを入れていた袋であった。弟は家の中ではその巾着袋を履いて這いずり回っていたので、巾着の裾は擦り切れていた。
友達の家で夕方まで遊んでから家に帰ると庭にはとても小さなかまくらがあり、小さくてもかまくらなので最低1人は入れるつくりとなっており、これは午前中に兄弟でこしらえたものであった。すでに日がくれかかっていたので雪は凍り始め、凍った雪はびっくりするくらいかたいので、私はそこによじ登ることにした。かまくらの頂点で私はしばらくきょうつけの姿勢でじっとしていたが、いきなり靴底が滑って横向きに地面に落ちた。怪我はなかったが、私はその時ポケットに手を突っ込んでいて、手首には回路の入った巾着袋を下げており、かまくらから転落した際に思い切りそれを踏んづけてしまい、回路は袋の中でへし折れてしまった。
ところで東急ハンズからおばあちゃんちまで徒歩で辿り着いた私たちだが、ふと車を置いてきたことに気づき、早く取りに行かなければ駐車料金がやばいことになると思い、あわてて炬燵から出て玄関に向かった。すると玄関の私の靴がなくなっており、どうやら弟が私の靴を履いてどこかへ旅立ってしまったらしい。仕方なく私は弟の靴で東急ハンズを目指した。弟の靴とは真っ白い無地のスニーカーで、真っ白なゆえに布の継ぎ目などの汚れが目立ち、かかと部分も履き潰されていた。しかし私たちは兄弟なので靴は違和感なく履くことができた。私たちは6歳離れているが、よく他人から似てるね、と言われるのだ。今は体格に差はついてしまったが、靴のサイズは体格とは無関係なのである。
東急ハンズの駐車料金は10分100円であった。100円なんてとても安いと感じるが、たった10分の料金なので、実は割高なのである。何円以上か買い物すれば1時間は無料になるらしいが、何も買い物もしていないので、私はその注意書きはまともに読まなかった。
私が東急ハンズに車が停めてからすでに何日も経過していたので、私は駐車料金がいくらまで膨れ上がったのか、正直気が気でなかった。私は自分のこういう小心なところが大嫌いだった。例えばレンタルビデオだとどんなに延滞しても、嘘か本当かは知らないが、実際のそのソフトの値段よりも高くは請求されないと聞く。実際払えるお金がないと言えば、この世で1番強いのは金のない人間なのだから、それほど悪いようにはならないくせに、私はやはりどうしてもびびってしまう。私の車はしばらく放置していたため、周りを他の車が取り囲むように停められ、もう出せないようになっていた。その光景を見て、私は疑問に思ったのだが、それでは車を放置していた数日間、私は移動の足をどうしていたのだろうか? 私の住んでいるところは埼玉の田舎だから車なしの生活なんてとても考えられないのである。やがて私は思い出したが、駐車場に放置していたのは古い方の車であり、白のトヨタのランクスである。今乗っているのは白のトヨタのBbであった。