意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

盲導犬

盲導犬が刺されたとニュースになっているが、盲導犬も野良犬も同じ犬なのだから、例えば盲導犬が刺されて超かわいそう、人間最低、と思うのなら、その辺の野良犬が刺されたときも同じように思わなければフェアじゃない。

ということを私は今さっき、ツイートしようと思っていたがやめた。私はこのブログを始めるよりも、ずっと前からツイッターをやっているが、こういうことが時々ある。批判がこわいので、先にあれこれ先回りしてなるべく突っ込まれないような言い回しを考えたりするが、これがとても面倒くさい。私は面倒なことが苦手なのだ。それならば書かない方がいい、ということになってしまうのである。そしてもし書いたとしたって、批判は1通もこないのである。

ところで私は冒頭の文章を書きながらとても迷ったことがあって、今回盲導犬は刺されたが、だから「野良犬が刺されたら」なんて書いてバランスをとったわけだが、なぜバランスをとったかと言えば、そこを「虐待されたら」「顔に落書きされたら」と書いたら、刺されるのと顔に落書きされるんじゃダメージは全然違うのだから、やはり盲導犬のほうが可哀想だ、という反論を避けるためである。しかし、私は実際にはあまりテレビは見ないけどテレビを見ていると、野良犬が刺されたら、というニュースはまず見ない。野良犬が落書きがされた、というニュースはこの前見た気がする。私が小学生のころにも、顔に落書きされた犬はいた。目の周りに眼鏡を書かれたのである。しかしその犬は茶色い犬で、書かれたのは黒のマジックだったからあまり目立たなかった。遠目に見るとそういう毛並みなのかな? という感じがするし近づいて見ると、あ、落書きされてるな、とわかり、随分近づいてからようやくそれが眼鏡であるとこがわかった。あるいはその犯人とは私の親しい友人であり、その人が
「今日さっき犬の顔に眼鏡書いてやったわー」
と教えてくれ、そのために眼鏡だと判別できたのかもしれない。どちらにせよ、忙しい大人たちの目には、それが眼鏡であるとはわからないだろう。