意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

腰痛い・アナグラム

私はちょうど1週間前に伊豆へ旅行へ行ってから、腰の具合が悪い。そのあと急激に涼しくなってしまったのも、悪影響を及ぼしている。伊豆へは圏央道東名高速までつながり、しかしながらそのまま小田原厚木道路に抜ければ、実は東名道は圏央道と交差するだけで実質東名道を走ったことにはならず、料金も発生しない、そうだ。

帰り道は4時間くらいノンストップで帰り、私は出かけることはあまり好きではないが、車の運転はわりと好きなので途中で休もうかなー、と一度は厚木のパーキングに入ったが割と混んでいて、探せば空いている駐車場もあるのだろうが、その探す行為が面倒なのでそのまま素通りして本線に復帰した。そしてそのまま寿司屋の駐車場まで走り続けた。この寿司屋とは地元の埼玉県の回転寿司店のことである。昨日も伊豆で海鮮丼を食べたが、これは期待していたものよりも不味かった。

私はここまで書いて急に筆が止まる、というか実際はフリックしている指が止まったのだが、「回転寿司」というワードを出したら、なんだか貧乏自慢をしているような気分になってしまったからである。海のそばへ旅行し、また実際にそこの魚を食べながら、結局は海なし県の安い回転寿司の方がうまいよね、と暗に伝えることで、読み手の憐れみを買おうというのである。そういう狙いが透けてきてしまって、私は書く気が失せた。

しかしながら私の好きな小説家に山下澄人という人がいて、この人を以前ネットで検索したらインタビューで
マクドナルドがこの世でいちばん美味しいと思っている」
と答えていて、私は感動をした。いろんな解釈ができるが、私がどの解釈で感動をしたのかは、ここでは書かない。とにかく私は、山下澄人のような小説がかけるのなら、毎日でもマクドナルドを食べたいと思った。それは今書きながら思ったことだが。

完全な後出しジャンケンになってしまうが、私もマクドナルドは結構好きなので毎日食べるのは実際あまり苦にはならないだろう。私が子供の頃駅の近くには丸ひろという百貨店があり、その百貨店の看板は、当時のモード学園のCMを彷彿させるような黒い、巨大な帽子をかぶった女性の顔が描かれていた。巨大な、は帽子ではなく、顔全体を指す。その百貨店の出口のところにマクドナルドがあって、たまに、日曜の買い物の際に母親が買ってくれることがあった。そのときは父が必ずビックマックで、私はただのハンバーガーであった。ビックマックは当時はプラスチックの器に入っていて、ハンバーガーはただの紙切れである。当然ながら私は、いつかビックマックの器を、自分の手で開けることに憧れていたのである……。そしてやがてその日は訪れた。

話をまとめると、私は良い文章を書くために、回転寿司を食べ続けるということである。