意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

文章のうまい、へた

言いたいこと、伝えたいことをブログに書くのだろうが、それは次の3つに大別されるのではないだろうか?

  1. ほとんどの人が知らない情報(例.iPon7はまさかの紙製!等)
  2. ほとんどの人は知っているが、実現困難な事柄(例.北極圏でそば打ち始めました!等)
  3. ほとんどの人は知っている物事の、新しい見方、考え方

私が今から書こうとしているのは3番で、ところで、上記のように数字を並べたら、私は中学1年のときの国語教師のことを思い出し、その人はテストで1から4まで選びなさいみたいな問題があって、生徒が4を選んだら、正解は4であったが、バツをつけた。なぜかというと、問題の4とは④(まる4)で、生徒はただの4と書いたからで、丸がなければ別の記号なので不正解なのである。これは屁理屈というか理不尽な気がするが、この教師は中学時代にやはり丸で囲わなかったらバツをくらい、おかげで志望校を受験できなかった、と言うのである。そこまでショッキングな経験をしたのなら、この先まる4と4は別物、と考える人もいるだろうから、私は以後選択肢に丸がついてれば丸、括弧なら括弧、気をつけるようになった。しかし、今の私は学生ではなく、しかもデスクワークでもないから、数字と言えばせいぜい日付くらいのものなのである!

話がそれたが、私が書こうとしているのをかいつまんで書くと、仕事をしていてミスというものをしてしまうことがあるが、これは確率の問題であり、例えば当人の緊張感が足りないとか、気が抜けてるとか、そういう風な解釈をしてしまうのはお門違いである。だから、私は仕事でミスをしても自分が悪いとか思わないように心がけているし、むしろ確率であれば私がミスすることによって他の人がミスする確率は下がるのだから、感謝してもらいたいくらいなのである。

もちろんだからと言ってぶ然とした態度でいれば、周りの心象は悪くなるだろうから、謝りはするが、これは口先だけのことである。次は気をつけよう、なんて思うのは逆効果である。ミスというのは普段通りにやれば起きないものを指すのだから、
「ミスという発想すらなかった」
という状態にいち早く戻すべきである。そう考えれば、他人のミスにも寛容になれることでしょう。

ということを書きたいと思ったときには、やはり初っ端からそれを書くことはできない。やはりきっかけというか、そう考えるに至ったプロセスから書き出すのが普通ではないだろうか? しかし、このように書く順番と思考の順番がばらばらだと、文脈を合わせるのが難しい。文脈が合うというのは、前後の論旨が不自然なくつながることだ。しかし前フリが後からだと、前フリを書きだすと、別の結論に行きそうになってしまう。いわゆる文章のうまい、とはその別の結論に行きそうになるのを必死で修正して書き上げ、読んだ人もそういう修正の痕跡に全く気づかない、というのを指すのではないか?

あるいは別の結論から修正することを放棄して、別の結論の方を採用する、というやり方もある。これなら騙すようなことになるかもしれないが、読み手は文章がうまいと思ってくれるだろう。しかし、書いた当人は消化不良で「書ききれなかった」という気持ちを抱くだろう。この辺が読み手は「文章が上手」と言ってるのに、書いてる方は「そんなことない、全然」と食い違ってしまう原因ではないか。単に書き手が謙遜しているだけという場合もあるが。