意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ご冥福をおいのりしない

私は、よく有名人などが亡くなったりすると、Twitterで、
「ご冥福をおいのりします」
という文言を見かけるが、私はそれを見るたびに違和感をおぼえる。多分死人をいたわっているのだろうが、どうもうさんくさい感じがしてしまう。

そもそもTwitterをやるまでは、私は昔はブログを熱心には読んでいなかったのもあるが、「ご冥福」はテレビのニュースキャスターが言っているのを聞くくらいだった。だから、私の違和感の正体は、この言い回しは元は個人で使うものではなく、もちろん言葉が発せられるのは個人の口からだが、あくまで団体とか会社とかの公人が使う言い回しだったからだ。

私はこの「ご冥福を祈る」についてちゃんと調べてないからわからないし、わかったら書けなくなるかもしれないから調べないのだが、もちろん個人が使っても間違いではない。しかし「ご冥福」の冥、は冥土のことで、福は幸福だろう。冥土の幸福を祈るというのは、かなり宗教がかっていないだろうか? 天国や地獄、または彼岸というものを真剣に信仰している人ならともかく、葬式のときに念仏を唱えるくらいの信心で、この言葉を使ってもいいのか?

なんだか私の文章がだんだんと線香くさくなってきたが、つまり、まとめれば大した信仰のない人が冥土だなんだと言っても薄っぺらいということだ。そういう薄っぺらいことを企業などが言うのはいいが、個人で言うのはいかがなものか。

もちろんこれは挨拶のようなものだ、という主張もあるかもしれない。私も葬式に行ってもっと気持ちを表せる言い方はないかといつも思いながら
「ご愁傷さまです」
と言っている。そういえば友達のお父さんが亡くなったときにそのお父さんは、私は実際に会ったこともあり、それは子供時代で、もう20年以上も前だから、当然若くて、ふっくらしていたから、私は勇気を出して、
「お父さん、随分と痩せちゃいましたね」
と思ったことを言ったら、「お父さん」の部分がうまく聞き取れなかったらしく、それは友達も含めた家族全員に対して言ったのだが、家族の方は「お母さん」に対して言っているのだと思い、確かにお母さんの方は昔からころころしているのだが、全員が目が点になり、それから大笑いされた。私は恥をかいたが、辛気臭い空気を少しは和らげたのではないかと、前向きにとらえた。

話を戻すと、つまり、Twitterは発する言葉でなく書き言葉で、それを個人が発信するのはやはり不自然だと思う。黙祷、についても同じで、故人を偲ぶ、という行為はもっと人それぞれであっていいと思う。

ところで、東日本大震災のあと、企業や団体のWEBサイトを見ると必ず最初のページの目に付くところに、
「この度の---(中略)---心よりお悔やみ申し上げます」
という文言があり、それを見るたびに憂鬱な気分になった。それはもはやテンプレートで、この会社はちっとも被災者を悼む気持ちがないということが、ひしひしと伝わってきた。私はテンプレートというものが嫌いなのである。もちろん会社のサイト担当者の気持ちになってみれば、この文言がなければ「おたくの会社は、家を失っている人もいるのに平然と金儲けをしているひどい会社だ」と本気で怒ってくる人もいるだろうから、企業というのは、こういうバカにも商品を売らなければならないから、他の会社がお悔やみを載せれば自分のところだけ載せない、とはできないのだろう。

ところで「心よりお悔やみを」とあるが、そう言っているのは法人で、法人は確かに法の下の人であるが、心なんてないから、やはり心からのお悔やみなんて、嘘っぱちなのである。