意味をあたえる

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うまこ

4コマまんが「うのこ」「チョーくん」「フーセンガム」 - ワタシはタワシブログ

私は今朝、こちらのブログを拝見して、うんこときのこを関連づけている内容にとても感動した。うんこと言えばカレー、というのが世の中のほとんどの人のイメージだが、それはただの思考停止に過ぎない。しかもカレーというのは視覚的イメージの拡張であって、言語感覚は完全におざなりにされている。私はうんこにもっと可能性があると信じ、以前「うんことうどんこの違いについて」論じたこともあったが、それで満足してしまった部分があったことを、このブログを読んで、思い知らされた。

だから、私も新たな拡張を目指そうと思い、今回は「うまこ」を提案したいとおもう。うまこ、とは蘇我馬子である。

ちなみに「うのこ」の方では、キノコの外見をしたうんこが生えていたのを、キノコと思い込んで食ったら、うんこだった、というストーリーだったのだが、私はこれを踏襲することにし、つまり蘇我馬子聖徳太子に食べられるのである。 カニバリズムだ。

ところで私はきちんと調べもせずに書いているから、なぜ調べないのかと言えば、調べるという行為のせいで、内容の面白さが減ってしまうと考えているからで、それと私はiPhoneで書いているから、たとえば調べたサイトを開きながら書く、みたいなことが出来ないのである。さらにiPhoneはコピーペースト機能が貧弱だから、サイトのURLを貼り付けるのだってひと苦労。しかしそのひと苦労がなければ、私の文章は崩壊してしまうのである。

私は実のところ蘇我馬子蘇我蝦夷蘇我入鹿がごっちゃになっていて、私の認識が合っていれば、聖徳太子蘇我馬子がタッグを組んでいて、中大兄皇子中臣鎌足にやられるのが蝦夷と入鹿で、蝦夷がたしかお父さんである。私のこれらの知識の元になっているのは、小5のときに進研ゼミのチャレンジ5年生から送られてきたマンガで覚える歴史で、私はそれが面白かったから何度も読んでやがては覚え、おかげで蘇我馬子は髭もじゃの中年、蘇我入鹿は白白のひょろっとした奴、というイメージなのである。蝦夷は覚えていない。それから蘇我氏について言えば高校の授業で、中大兄皇子に首をはねられた際には、首は大きく飛び上がり、それは平将門ほどではないが、田んぼ道の脇の塚のうえに落ち、首だけの口から、呪いの言葉を吐いたと言う。しかし、それが蝦夷と入鹿のどっちかは忘れたし、その後そんな話は聞かないから、私の思い違いかもしれない。


それで、聖徳太子が美味しそうな蘇我馬子にかぶりつくと、実はうんこだったので、聖徳太子はショックのあまり気がおかしくなってしまう、というストーリーなのだが、食べる、というのが、女性や子供にはショックかも知れず、私のブログが成人指定になってしまうかもしれないから、ここは「人を食う」ということにしようか?


よく「人をくった態度」と言うけれど、私はあまり使わないからわからないけど、要するに舐めた態度ということか。食べずに舐めるのならまだいいだろう。つまり聖徳太子蘇我馬子に対して卑屈な笑顔を見せたり、嫌味ったらしく慇懃な態度で書付を読み上げたり、そんな様子を見て、推古天皇も困り顔なのである。


ところで聖徳太子と言えば1万円札だが、昔、おぼっちゃまくんというマンガ、アニメがやっていて、おぼっちゃまくんの家では、トイレで用を足したあとに一万円札で尻を拭くシーンがあり、聖徳太子と大便の関わりの歴史は意外と古い。私はそんなシーンを見ながら、その尻を拭く一万円札をみんなに配ったら、いいんじゃないかと思ったら、

「インフレになるよ」

と言われた。