意味をあたえる

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知識が人を駄目にする

私は朝、畳の上で腕立て伏せをしながら、表題のようなことをぼんやりと考えた。そうしたら、手のひらに畳のあとがついていた。しかし、それは実際にそれを目にしたわけではなく、私は1日おきに腕立て伏せをしているから、わざわざ見るまでもなく、手のひらにあとくらいつくだろうな、と予想したのである。最初のころは、目にしたのかもしれない。あるいは、もっと以前の何かの記憶で、畳の上に手をついたらあとがついた、ということなのかもしれない。

私は、所詮私程度の人間が、この先なにかしらの知識を得たとしても、その使い途なんて、せいぜい他人を見下すとか、出し抜くとか、それくらいしかないのではないかと、思った。ただし、私は他人を出し抜くことが苦手なので、見下すの1択になってしまう。たしかに、私は私の周りには本を読む人があまりいなくて、よく
「どうして本ばかり読むの?」
と聞かれることがたまにあるが、そんなとき私は、
「お前らを馬鹿にするためだよ」
と答えていた。そう言っていたときの私は、多少の冗談をふくめたつもりだったが、どうやら、本気でそう考えていることに、今朝気づいた。だから今後は
「世界平和に貢献するためだよ」
と答えようと思う。

努力などに関しても同じで、ダイエットでも英会話でもなんでもいいが、何かを達成した人というのは、途端に傲慢になる。自分が達成したことは、大したことないと感じ、誰でもできることだと、本気で思い出す。だから、周りが
「すごいね」
と言うと、
「大したことないよ、貴方にもできるって」
などと無責任なことを言う。私が今の仕事に入ったときにも、先輩から
「この仕事は簡単だから、3ヶ月あれば全部おぼえられるよ」
と言われたが、この人は自分が仕事に入ったときのことなど、とっくに忘れてしまい、本気でそんなことを言うのである。この人はとんでもない馬鹿だと、後から思ったが、やはり私が2年3年経ってくると、一体何が難しいのか、よくわからなくなってくるのである。

しかし一度身についた知識や経験を捨てることは、たぶん出来ないから、私たちは何かを頑張りたいのなら、同じように、人間性もみがかなければならない。

ところで、「知識が人をダメにする」と午前中仕事をしながら頭の中でつぶやいていたら、この語感が何かに似てるな、と思っていたら、ボウイの「季節が君だけを変える」だった。

季節が君だけを変える

季節が君だけを変える