意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

明日はブログを更新できないかもしれない

明日は1日用があって、夜もお酒を飲んでしまうから、ブログを書いている暇がないかもしれない。かつて私は酒を飲みながら更新したことがあっただろうか? あった気がする。しかし「今お酒を飲みながら書いてます」とは、私は書くようなタイプではないから、読み返したところで、どれがそうなのか、わからないだろう。

もちろん私だって予約投稿などの機能があることは知っているが、具体的なやり方は知らず、そういう概念があることを知っているだけだが、いざやろうとしてやり方がわからなければ、私は苛々してしまうだろう。そうしたら、下書きという手だってある。しかし、私はiPhoneでこのブログは書いているが、アプリなのだが、下書きから更新しても下書きの一覧からは消えず、削除ボタン等もないのである。私はいつもアプリを立ち上げるたびに、下書きの欄に「2」と表示されているのがうざったい。ちなみに下書きから投稿したのは1回きりで、それなのに下書きが2なのは別のもひとつあって、これを活用しようと思ったが、活用する前に飽きてしまった。

とにかく下書きも嫌だから、いちばんいいのはこのまま書き続けて日付が変わってしまうのが望ましいが、いくら私だって1時間以上も書き続けるのは難しいし、別のことだってしたい。

別のことと言えばニーチェだが、実はニーチェについての本も図書館から借りて読んでいるが、これが実につまらない。わかりやすいからつまらない、というのもあるだろうけど、著者の解釈がうるさすぎるのである。とにかく前向きなメッセージに置き換えなければ気が済まないようで、「幸せ」という言葉が連発されていて、どことなく自己啓発本のようである。私は実際のニーチェを知らないから、実はニーチェ自身も幸せにこだわる人なのかもしれないが、やはりそうは思えない。永劫回帰についても「物語」と簡単に置き換えられていて、そうなるとじゃあここ数日俺が考えたことはなんなんだろう、となってしまう。

そもそも私は、幸福、という言葉が嫌いで、嫌い、というのは少しニュアンスが違うが、幸福とは思考をストップさせる言葉だと思っていて、哲学者とか、哲学の研究者が、「幸せ」なんて軽はずみに使ってもいいのだろうか。同じカテゴリーの言葉として「生命」などもある。私の会社の新しい社長は、新年度の挨拶のときに
「命がけで業務にあたってくれ」
と言って、私はなんて語彙の少ない人なんだろう、と思った。