6担任の名前は福田先生と言って、一段高いコンクリートの通路の上で指示を出すのもこの人だった。福田先生は今年専門学校を出たばかりの新米で、しかし私たちのほうこそ人類の新米のようなものだったから、新米教諭とそれ以外の区別はつかなかった。私は当時は体が大きかったから、列の一番後ろになり、アサガオの種の説明では一番右端になったから、あまり先生の声が聞こえなかった。福田先生はまだ一年目だったから、あまり声が通らなかった。だから、私は本当は第二関節、というところを第一関節と聞き違え、だから本当は私の芽が一番最初に出たのだが、夜のうちにカラスに食べられたのかもしれない。私はそんなことを考えながら隣の鉢の双葉を眺めた。隣の鉢は乱暴者の鉢で、ふちには土の細かいのが振りまかれていたが、それはすでに乾いていた。私はコンクリートの上に敷かれた、すのこの上にしゃがんでいた。すのこは少し反っているのか、端のほうを踏むと音がした。私の鉢のすぐ脇には水道があって、水道は二つあり、私たちは喉がかわくと、蛇口を上に向け、そこに口をつけて飲んだ。小学校になると、口をつけると汚いと言われたのでやめた。
7福田先生は新米なので私の芽だけが出ないことまでは、頭が回らなかった。年長組は全部で四組あり、福田先生以外はみんな27歳で仲良しだった。私はとりあえず母に相談してみることにした。母は
「お父さんに相談してみる」
と答えた。
(つづく)