「警備員を呼びますね」
とスタッフが言い、その人は私の友達に少し似ていた。しかししゃべっている間は全くそんなことは思わなかった。遠くの方から、警備員が、コツコツ靴音をさせながらやってきた。
「出口はどこですか?」
「正面」
「正面、と言いますと?」
「無印のところです」
言い忘れたが、妻がiPhoneを購入したのは、地元のショッピングモール内のショップで、出口がたくさんあるところだった。だから、警備員がやってくるまでには、けっこう時間がかかり、その間スタッフは、妻のiPhoneの紙袋を左手で添えながら、丁寧に持っていた。他のスタッフは手持ち無沙汰にしていた。客が見えなくなるまで片付けてはいけないルールなのかもしれない。
警備員は、私が想像していた人よりも若く警備員というよりも、外国の警察官のような格好をしていた。青い帽子をかぶっていたからだ。警備員は、私たちの先を歩いたが、振り返ることは一度もなかった。どちらかと言えばゆっくりとした、噛みしめるような歩き方で、両手を下にだらんと下げ、手のひらをグーにしたりパーにしたりを繰り返した。それは両手のパーとグーが交互になるやり方ではなく、完全にリンクしたやり方だった。やがて私たちは外に出た。
バッグトゥザフューチャーを観た人はおそらくみんな以下のような妄想を抱くのではないだろうか?
1.私はバッグトゥザフューチャーを観た後に、自転車に乗っていると、突然過去か未来からデロリアンがやってきて、デロリアンは猛スピードだから、私ははねられて大怪我、または死んでしまうのではないか、と恐れ、あまり道の真ん中を通らないように気をつけるようになった。
2.バッグトゥザフューチャーでは、マーティが過去に干渉することによって、未来が書き換わり、その証拠として自分の写っている写真を取り出すと、まずは左右の兄弟が、最後には自分が徐々に透明になって、消えてしまうのである。過去で両親が結婚しなかったから、自分は存在しないから写真からも消えるのだ。それを観て以来、何もない風景などを写真におさめると、本来なら写るべき人がいたのかもしれないと思うようになり、無闇に写真など撮るものではないな、と思った。