意味をあたえる

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記憶の石(5)

20私のバッグは私の右の太ももと、壁の間に挟まっていた。バッグは表面がざらざらしていて、太ももにあとがついた。私は半ズボンを履いている。私は長ズボンの方が履きたかったが、衣替えをしたら、半ズボンしかなくなった。私は2人掛けの椅子の窓側に座っていて、隣は私のすぐ後に乗ってきた宮野という女だった。宮野は私よりもひとつ年下である。


21宮野の家は私の家から坂を下ったところにあり、道から門までは100メートルくらいの距離がある。門の前には畑が広がっていて、畑の一部は梨園になっている。と言うより梨園がその他の畑よりずっと広い。梨の木の高さは大人の背丈くらいで、夏になると葉が繁って低い天井のようになった。宮野がお母さんとバスを待っているのは、梨狩りの看板の前だった。看板には太い毛筆で「梨」と書かれている。梨園を営んでいるのは宮野の祖父で、祖父は宮野が小学校6年のときに死んだ。それから梨園は閉鎖された。

「疲れた」

宮野は私の隣に腰を下ろすと、いつもそう言った。朝から疲れるなんて、奇妙だと私は思った。それは、玄関からここまで100メートルも離れているせいだと私は解釈した。私の家は道まで10メートルもない。門もない。

「俺は門が嫌いなんだ」

とあるとき父が言った。私がどうして門がないのかと質問したからだ。私の向かいの家は立派な門を構えていた。門の向こうには手入れされた庭木が茂っているのが見えた。私の家にはクスノキと八重桜があったが、囲いがないから、私の家のものなのか、よくわからなかった。私の家の庭は途中から畑になって、その向こうは桑畑だった。2本の植木は、桑畑のすぐ脇に植えてあった。桑畑は本家の畑、と父が言っていた。しかし、本家とは誰のことなのか、私は知らなかった。


22宮野と私はバスの中でしか会わなかったが、私たちは結婚する約束をしていた。宮野が言い出したことだ。

「ノブくんは黒子が多いね」

宮野はバスが走り出すと、出し抜けにそんなことを言ってきた。宮野はそれまで私の顔を覗き込み、黒子の数を数えていた。バスは県道を走っていて、もうすぐ橋を渡る。バスの左手は田園風景が広がっているが、私はバッグの中身にしか意識がなかった。

「ノブくんの黒子の数が20個より多かったら、結婚してあげないね」

そう言って宮野は人差し指を私に向け、カウントを始めた。宮野は私よりもひとつ下だが、20まで数えられるのかと、私は感心をした。私も数えられるが、たまに18を飛ばすので、人に数えろと言われても断るだろう。


23私に顔に黒子が多いことを、私は自覚していた。母はそれは泣き黒子だと教えてくれた。母は黒子の数は少なかったが、顎のところに大きな黒子があった。私は自分の顔の黒子を集結させたら、母の黒子の大きさになるのではないかと予想した。だから、弟は中くらいの大きさのが、程よい数で生まれてくるのかもしれない。弟は母のお腹の中にいた。しかし生まれた弟に、黒子はほとんどなかった。


24母の黒子はアサガオの種に似ている、と私は思った。


25宮野が15まで数えたところで、バスは駐車場に着いた。駐車場は砂利で、先週植木鉢に入れる石を拾ったのもここだ。車体がぐらぐらと揺れ、それが到着の合図であることを、バスにいる全員がわかっていた。

「もういっぱいだよ」

宮野は苛つきながらそう言ってバスを降りた。結婚については何も触れなかった。私は坂をのぼるとまっすぐ教室へ向かった。ロッカーにバッグを入れ、中を確かめると、ティッシュのかたまりがほどけている。私は慎重に広げてみたが、種はどこにもなかった。バッグに手を突っ込み、底に指を這わせてみたが、布の感触が伝わるだけで、何にぶつかることもなかった。この場で中身をひっくり返したかったが、周りの注目を集めたくはなかった。私はとりあえず種は見つかった風を装い、誰にも気づかれないように注意しながら廊下に出て植木鉢に近づいた。父に言われたように、土には穴を開けずに種を置き、端から両手で土を寄せて上を覆った。種はなかったから、コンクリートの切れ目から、適当な小石を拾ってきて代用した。切れ目は蟻の巣になっていて、小石の周りにはたくさんの蟻がいた。小石の埋められた土は、荒野のようにぼろぼろだったので、私は隣の水道で手を濡らし、水を振りかけた。それから私はまだ部屋着に着替えてなかったので、急いで教室に引き返した。


26数日して、私の鉢には蟻の巣ができた。


(了)