ところで、以前の私はこんなに比喩を乱発しただろうか?
私はこのブログを始めてから、3日くらい前までは、ずっとひとつのことを考え続けてきたような気がする。もちろんひとつひとつの記事はばらばらだが、全ての記事が、「前回のつづき」のような感覚で書き始めたような気がする。もちろん気がするだけで、読み返したとしても、そこに何の共通点も見出せないだろう。読み返す気もないが。
とは言っても、意図せず読み返してしまうこともあり、この前いくつか読んだが、何が書いてあるのかよくわからなかった。おそらく読んでいる人も、同じような感じなのではないだろうか? しかしだから何が悪いとも思わなかった。私はどこで「わからない方が面白い」と書いた気がする。もちろんわからなくて、さらにつまらない、という文章だってたくさんあるだろう。しかし「わかる面白さ」と「わからない面白さ」を比べれば、後者のほうが面白さの度合いは大きい。わかる、とは言い換えれば解釈できるとか、分析できる、ということだ。
でも私がそう主張したところで、意味わかんない人はわからないだろうし、なんでそんな突き放すことを言い出すのかと言えば以前友達に
「どうして飯村は、テレビ観ないのに人を笑わせられるの?」
と言われたのを思い出したからだ。この友達はしかし、とてもいい人だから、この先ゆっくりと、テレビよりもずっと面白いことを一緒に考えていきたいと思う。