意味をあたえる

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千と千尋の神隠しは子供向け

夕方出かけていた妻とネモちゃんを迎えに行き、それは片道1時間くらいのドライブで、途中で電話が鳴って、
セブンイレブンで待ってる」
と言われ、しかしそれは一体どこのセブンイレブンなのか、私は道にも迷ってしまい、あてずっぽうでその辺のセブンイレブンに入ったら、しかしそこにはいなかった。そうしたらまた電話が鳴って、
「あと何分?」
と質問され、んなもんわかるわけないだろ、と思ったが調べたらそこから直線で2分くらいのところにあった。その途中にはとても大きな斎場があり、3階建てくらいの三角の屋根で、それはお金持ちのための斎場なのかなとか思った。

家に帰ると志津もすでに帰っていて、志津は塾に行っていて、行きは私が送ったが、帰りは歩いて帰ってきたのだ。テニスコートの脇を通ってきた、と言っていたが、私はテニスコートがどこにあるのか知らなかった。妻はそんな暗い道を通ってはダメだと怒っていた。

そのとき志津は千と千尋の神隠しを観ていて、昨晩も観ていたから、少なくとも2回は観ていて、本人も
「好きかもしんない」
と気に入っているようだった。私はその映画が放映されていた当時は、この映画はとても難解そうだからテレビでは何度か観たものの、ちゃんと腰を据えて見なければ理解できないと思い、あまり熱心には見なかった。その前のもののけ姫紅の豚はとても熱心に見たから、もうそういうのに飽きていたのだ。だから、千と千尋の神隠しと、ハウルの動く城はすっ飛ばし、ポニョもそのつもりだったが、私はその間に人の親になっていたから、もう自分の意思で映画を観るとか観ないとかは決められなくなっていた。だから、ポニョで久しぶりに映画館まで足を運び、そうしたら途中であり得ないくらい泣いてしまった。私は宮崎駿映画ではポニョが間違いなく一番の傑作だと思うが、思い入れではもののけ姫紅の豚、と最終的な評価を下した。

千と千尋の神隠しについては、改めて観てみると、子供と一緒に観てみると、難解さとか、ストーリーの複雑さとか作者のメッセージとかそういう系のアレは、全て大人の目をごまかすためのものであり、評論家を喜ばすためのサービスであり、本質は別のところにあると感じた。別のところはどこかというと、志津は坊という巨大な幼児が魔法でネズミに変えられ、それを志津は「かわいい」と言っていたから、そのネズミである。あるいはそのネズミを支えていたハエである。私は、確かこの映画が封切られたときに監督が、この映画は9歳の姪だか孫のために作った、と言っていた気がする。私は、つまりそれを言葉通りに受け取らずに、やれカオナシは何のメタなのか、とか結局ハクは死んだの? とか、臭い神様の中からゴミが出てきて、それが人間の身勝手さの風刺であることに喜んだりとか、そんなのばっかりだったから、見る気が起きなかったのである。臭い神様が出てきたときに、それがどんな臭いなのか嗅いでみたいと興味を持つことが、本来の楽しみかただったのである。

そのことを象徴するシーンというか、私が観ていてとても不思議だったシーンがひとつあって、それは龍になったハクが、あるいは龍に戻ったハクが、血まみれになって千尋がお団子を食べさせたら盗んだ印鑑を吐き出すときに、一緒に虫を吐き出し、それを千尋が踏んづけた後にシーンなのだが、ネズミになった坊が、千尋の真似をして、虫の残りカスを踏んづけるのだが、その後ろで、手がたくさんあるおじさんが千に、ハクがどうやってここまで来たかとか、湯婆の弟子になったとか、そういう説明をしているのだが、このネズミがかわいくて、集中して聞けないのである。登場人物の過去は、物語の鍵として重要であるのに、どうして邪魔を入れるのか、私は不思議であった。だが、同時に愉快でもあった。

それと、私は途中で見ることに飽きてきて、途中で停止して、また見たのだが、それがちょうど電車に乗って、銭ばあばという質素な建物に住む老人を訪ねるシーンにいつのまにかなっていて、私は勝手に、スタッフの人々も油屋の絵ばかりで飽きてしまい、また赤系の塗料も足りなくなってきたから、出かけたんだと解釈した。

それと今日ネットを見ていたらこの映画のラストのことがやっていて、私は改めてこの映画のラストをほとんど覚えていないことに気づいた。最後にトンネルを抜けると、千尋は千だったときの記憶が全て消えているらしい。私はそれは別にどっちでもいいと思った。その少し前に湯ばーばが橋のたもとに豚を並べ、どれがお前の両親かと訪ねるシーンで、千尋は「この中にはいない」と答えるのだが、しかしもし「これだ」と指差したとしたらどうなるか? その場合は指された豚が両親になるのである。その証拠に千尋が答えると、湯ばーばの手の中の契約書が爆発して消滅するが、湯ばーばはそれを見て驚いている。湯ばーばは初めからどの豚が正解かは知らなかったのである。そう説明すると志津はとても驚いていた。