意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

暗すぎて書けない

今日は書くことがないが、本当はあるのだが、暗くて書けない。しかし普段は暗くても明るくても、スマホで書いているから何の支障もなく書けているのだが、今日は今読んでいる本から引用しようかと思ったのだが、今さっきネモちゃんと一緒に布団に入り、電気を消してしまったのだ。電気は、正確に言えばオレンジの小さいやつ、常夜灯と言うらしいが、私が子供の時には「ちびでん」と読んでいた。ちなみに、寝室の畳の八畳間のことは、「ねるじかん」と呼んでいた。部屋なのに時間という名称なのは奇妙だと思っていたが、父も母も真顔で「ねるじかんの本とってきて」とか言っていたので、そういう呼び方もあるのだな、と私は思っていた。

もう少し大きくなってから、母に「なんで部屋なのに、時間なの? 変じゃない?」と聞いたら「変だね」と母は答えた。
「おそらく、あなたが小さい頃に「もう寝る時間だよ」と言って連れてったから「ねるじかん」という部屋と勘違いしたんだと思う」
と教えてくれた。「おそらく」というのが母らしい。とにかく、最初に「ねるじかん」と呼んだのは私で、両親が私に合わせたのだ。ちなみに、私は三歳のときに引っ越しをしており、だから私が「ねるじかん」と呼んでいたのは、おそらく二代目の「ねるじかん」だ。もちろん初代の記憶はない。

私は三歳のときに引っ越しをしたから、それを足がかりにして、かなり古い記憶も整理できる。新居が立つ前の更地の風景も覚えているし、引っ越しはトラック二台で行われ、天気は雨だった。私は二台目のトラックに乗っていたから、前を走るトラックの荷台に、自分の三輪車が載せられているのを見た。三輪車は雨ざらしになっていて、他の物には幌がかけられらているのに、子供の物だからぞんざいに扱われるんだろうと思った。一方で、その半年前に妹が生まれているはずだが、妹の記憶は全くない。ところでこの文章は、さっきから「ニダイ、ニダイ、」とうっとうしい。

話を「ねるじかん」に戻すが、ねるじかんは私の小学校高学年から、ゲーム部屋になった。それまで禁止されていたファミコン類がようやく解禁になり、茶の間でゲームをやられるのを嫌がった父が、ゲーム用のテレビを購入し、ねるじかんに置いたのである。それから数年して、それまでその部屋に川の字で寝ていた子供たちは、みんな自分の部屋で寝るようになった。テレビは床の間に置かれ、初めて繋いだゲーム機はツインファミコンで、その後PCエンジンメガドライブスーパーファミコンと続くのである。最後に買ったのがプレイステーションだった。それに合わせてどういうわけか、テレビも台数が増え、多いときは三台あった。誰かがいらなくなったのをくれたのだ。しかし使えたのはそのうちの二台だった。そのうちの一台は柱のすぐ脇の物入れの上に設置され、そのもの入れは小さな襖が付いていた。兄弟はそこに、おもちゃなどを隠して遊んだ。ところでその、小さな小さな襖だが、表面は水墨画となっており、左手奥から手前に向かって川が流れ、右側には水車の付いた古民家が描かれている。二枚の襖で一枚の絵を表している。墨で描かれているから全体的にぼんやりしていて、靄がかっているので、早朝の風景のように見え、その上で映し出されているゴテゴテした画面とは対照的であった。テレビゲームは、例え深夜の場面でも、真っ昼間全開という感じがした。