意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

可愛い子には旅をさせろ

「可愛い子には旅をさせろってどういう意味?」
と突然聞かれ、私はこの言葉の意味を知らないことに気づいた。
「なんだろう?」
「旅をしてない私は可愛くないってこと?」
「可愛い子は少しは旅でもして、不細工になって帰ってこいっていう、ブスの僻みじゃない?」
「でも旅に出て歩けば痩せるから、可愛くなるじゃん」
「ちょっとケンサクしてみてよ」
そう言って娘は私から携帯を取り上げようとするから、私は娘のために検索窓を画面に作ってやり、娘はフリックに苦戦しながら、どうにか予測変換の候補に上げる。しかし、漢字ばかりで結局読めずに私に渡してくる。私は読み上げ、可愛い子は親元に置かないほうがいい、という意味を知る。

次の話。私は夜になってテレビを見ていたら、モニタリングという番組をやっていて、東京と大阪のどちらの人が親切か、というのをやっていて、お婆さんが重そうな荷物をふうふう言いながら運んでいたら、どれだけの人が荷物を持ってくれるか、というのをやっていて、そこまではいいんだけど、東京のお婆さん役の人が白髪交じりで腰も曲がったような汚い老婆に対し、大阪は和服を着た女の人で、髪も黒くて上品に結ってあり、それで大阪人の人のほうがたくさん寄ってきて親切だ、という結論を出し、それはとてもアンフェアだと思った。別に東京の肩を持つわけではないが、東京人が親切だとなにか不都合なことでもあるのだろうか。確かに東京には私のお婆ちゃんや叔父が住んでいるが、その人たちは特別親切なわけではない。お婆ちゃんちは、酒屋の角を曲がった先にあります。隣がアパートになっていて、私が子供の頃に遊びに行って泊まって夜暗くして寝ていると、そのアパートの鉄の階段をのぼるカンカンという音が耳に入った。懐かしい。

次。最近ブログで自己肯定、自己正当化、という言葉をよく目にする。あまり熱心には読んでいないが、私は少し前に「30才を過ぎたら、自己肯定でいいじゃないか」というタイトルで記事を書こうと思ったが、結局書けなかった。ということを思い出した。関係ないが、私は昔肯定、という言葉の意味がわからなかった。否定はわかるから、その逆、と解釈すればなんとなくわかるが、肯定文とは素の文章なのだから、肯定、なんてつけるのが違和感ありまくりで、ご飯をわざわざ「スタンダード・ライス」と呼ぶような格好付けた感じが嫌だ。一方自己正当化であるが、これの対義語はなんだろう? と考えふざけて「自己暴徒化じゃね?」とか思ったらあながち的外れでもないな、とか思った。

可愛い子は、暴徒化する前に旅に出せということである。

寝るわ。