意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

山梨県

家に帰ったら一人だったので、ひとりで夕飯を食べ、夕飯は用意してあった。味噌汁も用意してあり、しかしまだ誰もよそっていないのか、お玉は洗いカゴの中に入ったままで、冷え切っていた。冷え切ったお玉を鍋に入れると、味噌汁の温度が下がってしまうから、再び温め直そうか迷う。そもそも最初に温めたのは志津なのか妻なのか、妻だとしたらぬるいこともよくあるからやはり温め直さなければならない。志津は熱々だ。ただしそれはお風呂の話だ。志津は物心つくまえから義父母に温泉やスーパー銭湯に連れて行ってもらってるから、熱いお湯もへっちゃらだ。むしろ熱くなきゃ風呂じゃないという節もある。一方私は大学生になる頃まで銭湯に行ったことはなかった。子供の頃、父の入った後のお湯に入ると、あまりに熱くて足先しか浸けられず、その後勢いよく蛇口をひねって、どぼどぼと水を入れた。「水で埋める」という表現をした。今住んでいる家よりも、実家の方が風呂桶は深く、さらに母の実家のはもっと深く、私は子供の頃は、踏み台を使わなければへりを乗りこえることができなかった。

夕食のメニューは他に野菜炒めとサラダと焼き鳥が一本あり、サラダを箸で摘まむと、そのかたまりが、山梨県のような形をしていた。山梨県は上の方が丸っこくて、下がぎざぎざしている印象だ。埼玉県の隣にあって、雁坂トンネルというトンネルをくぐると途中から山梨県に入る。若い頃によく、深夜にそこまでドライブをしたが、道のりは果てしなく、途中には警察署もあった。山の中に突如巨大なビルが現れ、その正体はバネのように同じところをぐるぐる回って上へのぼっていく橋であった。ビルの窓の灯りに見えたのは、等間隔にならんだ欄干の照明であった。私は子供の頃から乗り物に酔いやすく、そこへさしかかる頃にはだいぶグロッキーになっていたが、同乗者との会話が盛り上がると、あまり気持ち悪くないこともあった。後部座席に女の子を座らせると、知らないうちに寝入っていた。

しかしそれだけの道のりをやってきても、トンネルの中に入ることは一度もなかった。中は有料だったし、たまには勢いで行っちゃうこともありそうだったが、そこまで来るだけで、こちらはもうヘトヘトだった。大人しく途中の夜景で我慢して帰れば良かったと、後悔すらした。そして、中央線に立てられたポールに注意しながら、決して広くはない道をUターンし、帰途につくのである。

途中で鹿を見たこともあったが、頻繁に見るのは狸とか、ハクビシンの死体だった。死体は、現在の通勤途中でも度々見る。