意味をあたえる

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私の祖父は事故で死んだ

一昨日くらいのキューカさんの記事で、キューカさんとは、蕈さんという名前で、アイコンもキノコであったが、蕈の読みがキノコだとは知らなかった。茸とは違うのか、単なる旧字なのかは知らない。しかしキノコさんと呼ぶのはお子さんもいらっしゃるようだし、
「お前の母ちゃんキノコなんやろ?」
と言われては気の毒だから、しかしそんなの人の価値観だし、だいいち私がここでキノコと呼ぼうがマリオと呼ぼうが関係ないことに気づいた。ちなみに私の父親は「小さいアルゼンチン人」、と呼ばれていて、それは背が低く、肌が日焼けしていてどちらかと言えば強面だからである。しかしそんな呼び方をするのは1人だけだ!

私はブログのIDをカタカナ読みしてキューカさんと呼ぶことにした。

キューカさんは祖母を事故で亡くされていて、私は一昨日のキューカさんのブログの記事でそれを知り、記事を読んで私も父方の祖父が事故で死んだことを思い出した。交通事故である。祖父はバイクに乗っていてワゴン車にはねられた。その日は日曜日であり、私は記憶が曖昧だが私は小学六年生だったのだが、確か選挙の日であったように思える。祖父は投票に向かう途中にワゴン車にはねられ、交差点だったのだが、祖父が走ってきたのは砂利道で、角には工事現場のプレハブ小屋が建っていて、見通しが悪かった。祖父をはねた方の道路には、その後「危ない」という表示が施された。

その日は六月の日曜日であり、父の日であったから、私の父親は、当時私の弟は幼稚園児だったので、父の日の行事に出かけ、第一報を受けた母は、「おとうさんが事故にあった」と聞かされ、最初私の父が事故にあったと勘違いをした。そうなると、報せたのは祖母ということになる。その後幼稚園の父の日参加デーから帰ってきた父は急いで病院へ行き、病院には普段ならお盆やお正月に顔を合わせる面々が揃っていて、私も後ろの方から祖父の脳の画像を見た。私は祖父からしたら直系の初孫だったので、割と前の方にやられた。

それから三日後に祖父は息を引き取ったが、そのとき私は妹と「太郎と花子」というテレビを観ていて、女子チームの司会は、ちびまる子ちゃんの声の人だった。その頃はちびまる子ちゃんが大ヒットしていて、お正月番組なんかでも、キートン山田がナレーションをしていた。
実のところ私は、祖父の死がそれほど悲しくはなかった。別に祖父が嫌いだったというわけではなく、その二ヶ月ほど前には、祖父と父の田植えを私も手伝ったりして、三人であぜ道に腰を下ろしながらアイスをたべたりするのが楽しく、私は親子三代が並んだので、血の繋がりのようなものを意識した。もしかしたら、田んぼに水を張った時期だったから、アイスではなかったかもしれない。

私は実のところ葬式で学校が休めることが、嬉しかったので、友達に自慢したりした。最後に棺桶の釘を順番に石で打ちつけ、いよいよ出棺という時には祖母は泣き崩れたが、私の中にこみ上げてくるものはなかった。 

その後祖母はたまに
「おじいさんが夢に出てきたよ」
みたいなことをたまに言っていて、私は夢が祖母の精神を維持させてくれてるんだ、と冷静に分析した。

私は思い出すままに書いたが、その当時の感情をできるだけそのまま書いたがその通りで、どうしてこうも祖父の死に対して冷ややかなのか、と思いその理由をいろいろ考えてみたが、だがこうして文章にしてみると、私は執拗に細部まで書きたくなってしまい、それが祖父に対する弔いなのでは? と感じてきた。そうするとまた最初に戻って頭から書き直し、もう話の流れとか文字の組み立てとか全部放棄して、誰もが読めなくなるまでそれを続けたくなる。

いやそれも違う。

私はふと、書き終わった文章はすべてフィクションになってしまうが、書き終えさえしなければ、ある種の真実を含むのではないか、と思った。

私は書くのをやめたくない。

でもやめる。