少し前にキューカさんがイジメについて書かれていて、私はそのときコメントさせてもらったのだが、それは私の子供が「学校行きたくない」と言ったら「行かなくていい」と言いますよという内容だった。それから私は当然のような顔をして、私が子供に学校へ行くなと言う理由を記事にしようかと思っていたが、しなかった。他に書きたいことがあったからである。
私の場合、一度時機を逸してしまうと、改めて書くというのはあまりなくて、一昨日くらいの小島信夫の小説についても、もう四回目で、書くことはだいたい頭の中にあるのだが、頭の中にある文章を文字にするのは、あまり気が乗らない。それでもなんとか書いたら今日になってコメントをもらったので、書いて良かったと思った。また、別の記事でもコメントをもらえたので良かった。
なんの話か忘れたが、今日になって、そうしたら、ズイショ氏もイジメについて取り上げており、私もこうやって短期間に二回もイジメについて目にしたので、これは記事にしなければと思い、まずはブックマークコメントを残した。
それで、私はこれから書こうと思うのだけど、書いたらなんとなく別の人と同じ話になりそうなので、代わりに思い出したことを書く。
それは三人についてで、小学校の高学年の時の国語の教科書の話で、
三人というのは、とても良い数字で、二人ならケンカになってしまうが、三人であれば、二人が残りの一人の悪口を言い、しかし言われた一人は二人も相手にすることはできないから言い返せずに、関係はうまくいく
というのが出ていた。話のタイトルやストーリーなどは全く記憶になく、引用も記憶をたどりに適当に書いたから引用でもなにもないのだが、こんなニュアンスだった。もしかしたら私の創作かもしれない。例えば、もとの文章の何割を変えたら創作になるのだろう? そういうのって、内臓の何割を入れ替えたら他人になるか、みたいな話にちかい。
とにかく、私はそれを読んだときに、変な気持ちになった。教科書のくせに「悪口(または文句)」というのが出てくるのもおかしいが、「三人なら」というのも対症療法的で腑に落ちない。というか、話そのものをおぼえていないから、落としどころがそもそもない。私が唯一おぼえているのは、三人のうち一人は少佐で、少佐という単語は新出単語だから辞書で調べなければならないが、辞書には出ておらず、しかし私はなぜか知っているから、
「軍隊の階級の一つです」
と答えて得意になった。私は少佐をどこで知ったかというとたぶん宇宙海賊コブラという漫画で知った。とはいうものの、私はその少佐のエピソードが、三人の話である自信がイマイチ持てない。三人のうち一人が少佐なら、残りの二人も大尉なり軍曹なりであってもいいはずだ。それなら私は三回得意にならなければ合わない。
仕方なく代わりの話をすると、小四のときに、夏みかんという話があり、それはタクシードライバーが道端に帽子が落ちていて、ドライバーが拾い上げると中からチョウチョが飛び立ち、それは男の子が捕まえたチョウチョで、男の子はお母さんを呼びに行っていたからそばにいなかったのだ。このままでは男の子ががっかりすると思ったタクシードライバーは、どこかで入手した夏みかんを車から持ちだし、帽子の下に隠す。そしてその場を離れながらほくそ笑むのである。一方助けられたらチョウチョの方は、その後タクシーに乗り込んでくる......。
その後どうなるかは忘れてしまったが、なぜこんなにおぼえているのかと言えば、私はそのとき進研ゼミを始めたばかりで、家でもしつこく読み込んだからである。
そういえば私がイジメを受けたのも、小四のときだった。
※追記
下記のコメントを見てもらえばわかりますが、三人の教科書の話は「三人の旅人たち」というもので、そこには少佐は出てきません。私の記憶違いでした。私はその方には「藤川さん」と呼ばれています。