意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

文が死んでる

昔私はドラムをやっていて、熱心にやっていたので「ドラムマガジン」という雑誌を毎月買い、それは普段なら千円しないくらいだが、たまに特別号ということで、付録にCDがつき、そうすると1200円、1300円となって懐がキツくなった。

そのドラムマガジンの中で、村上ポンタ秀一というドラマーがコラムを書いていて、この人は日本のドラマーの中ではとても有名な人である。その人がコラムの中で、自分の付き人について触れている回があり、村上ポンタは今では知らないが、当時はアシスタント(ボーヤって呼んでいた)を半年とか一年で新しい人に替えていて、それはできる人できない人関係なく、そうしていたそうである。できない人は3日とかで解雇されたのだろうが。どうしてそうするのかについてはすぐ想像がつくが、馴れ合いの関係になってしまうのを嫌って、ということだった。そうわかっていても、実践してしまうところがすごい。

それでアシスタントだが、村上ポンタはドラマーであるから、当然将来有名ドラマーになりたい人が、技やセッティングを盗んだり、あわよくば目をかけてもらおうと思いやってくるわけだが、これはおかしいと言っていた。もし自分が若いドラマーであれば、ギタリストとかベーシストの、ドラム以外の人のところに付き、そうすればスタジオで色んなドラマーが見られるから効率的だ、そういう風に思えないのは想像力が足りない、と言っていた。確かにその通りだが、ギターの人は、ギターに詳しい人に来てもらった方が助かるのではないか、とも思う。しかし、楽器に詳しい、詳しくないを超えた魅力を持った人になれなければダメだ、とも取れる。

それでアシスタントの期間を短くする理由がもうひとつあって、それは「馴れ合い」の複合的な理由であるが、だんだんアシスタント業務に慣れてくると手を抜くようになり、例えばスタジオでレコーディングをしているとき、いったん準備が終わってしまうと、アシスタントの仕事はなくなってヒマになるから、村上ポンタが休憩中にスタジオから出ると、アシスタント同士がくっちゃべっている場面に出くわすそうだ。お喋りくらいならまだいいが、ソファにふんぞり返って、ギターをかき鳴らしながら談笑している。
「もうそいつ終わったよ。音が死んでる」
私の手元には雑誌はないから、正確な記述はできないが、「音が死んでる」は確かに言っていた。なんだか精神論のようにも取れるが、私は大いに頷き、記憶に刻み込まれた。

それで、私は今となってはもうドラムはやめてしまったから、言葉だけが残った。昨日か一昨日か、ふと目についた文章を読んでいたときに、「この人の文は死んでいるな」と思った。そういう、ソファにふんぞり返っている絵が頭に浮かんだのである。その人は、多分毎日調子良く書いているのだろうが、そのうちにまったく書けなくなってしまう日が来るのだろう。

私はこの記事を書く前に書き手の寿命とかそういうことを考えていて、そういうのを少しでも伸ばすために、自分にできることはなんなのかとか、考えた。


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