意味をあたえる

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お金を稼いだくらいでは社会のためにはならない

こちらの記事を読ませてもらって、思ったことを書く。

私が就職活動を行ったのは今から十数年前で、そのときはインターネットはまだあまり普及していなかったので、あるときリクルートから電話帳のような冊子が小包で届き、それはとても重かった。また、ダイレクトメールで会社説明会の案内を送ってくる企業もあった。

私はそのときはあまり社会に出て働こうという意志はなく、バンドをやっていたのでそれで食べていこうと思っていた。しかしチケットは全く売れなかった。当時のゼミの教授には、
「飯村は(就活せずに)バンドでいくんだな」
と言われたのをおぼえている。私はそのとき、赤と白のボーダーのウールのカットソーを着ていて、それは卒業アルバムにも写っている。気に入ってよく着ていた。写真に写った私はラガーマンのようであった。私は大学にまで卒業アルバムがあるなんて信じられなかった。大学時代には、大学自体にいい思い出はなかった。

しかし、そんな私もどんな心境かは忘れたが、何度か会社説明会には行った。スーツを着ていった。まだ説明会なので、スーツじゃない人もいた。うまくいったら就職しちゃおうとか思っていたのかもしれない。しかし、説明会が始まると、どの担当者も決まって言うセリフがあり、それは
「我が社のためにがんばってくれる人を求めています」
だった。私は、とくにその会社のために頑張ろうとは思わなかったので、話を聞き終わると、面接の申し込みをすることなく家路についた。電車で帰った。そういうことが、少なくとも三回くらいあった。

しかし、今思うと、まだそのときの企業のほうが良心的だったのかもしれない。上記の記事の中では「社会のために」という言葉が出てくる。そこには、特に企業側が「社会のために」を求めてくるとは書かれていなかったが、若い人は「社会のため」になる仕事をしたいと言う。別にそう思うのは勝手だが、企業の側が、それを隠れ蓑にして、雇用条件を引き下げたりしたらイヤだな、と思った。

私の友達が中古品を扱う仕事に就いていて、あるとき一緒にお酒を飲んでいたら、
「俺の仕事は社会に貢献している」
と言っていた。お酒の席の話を持ち出す私もフェアではないが、きっと社長にそういうふうに吹き込まれたんだな、と思った。一方の私は黙って聞いていた。いや、「すごいね」とか言ったかもしれない。私の仕事も、高齢者を相手にしているから、一応社会に貢献しているかもしれない。しかし、私が貢献しているのは、会社の利益だとか、社長が乗っている高級車などである。私の勤める会社は、家族経営の中小企業なのである。だから私は今はちゃんと毎日会社に行っているが、とても真面目にやろうだなんて思わない。

もちろん会社勤めして、それが結果的に社会のためになる、ということはあるだろう。しかし、そもそも「社会」とは何を指すのか? 資本主義社会だろうか。それとも世界平和とか、人類の発展なのか。そういうことをはっきりさせ、他人の借り物の価値観で「社会」なんて言っていると、簡単に足をすくわれてしまう。

だから、私の結論も元の記事と似たようなものだが、若い人はまずは自分のため、自分の好きなこと、自分第一、でいいと思う。それでそういうのに飽きたり、しんどくなったら、それから社会とか世界とか、そういうことを考えればいいと思う。それで良い根拠は何もないが、私はいい加減「自分さえ良ければ」というのがしんどくなってきたから、世界平和について考えたりする。


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