この前紙さんの文章を読ませてもらっていたら、子供が登場し、その子供がスーパーマリオについて説明をしたのだが、紙さんは、何を言っているのかわからなかった、とあった。コメントを見てみたら、私以外にもう一人コメントしている人がいて、それはにじ子さん( id:amenomorino )だった。にじ子さんは、
「自分の子供と10以上歳が離れると、言っていることがわからない」
と書かれていて、私は
(そうなのか)
と思った。
私の家のネモちゃんは、小学一年生なので、紙さん(私はいつも心の中ではA紙、と呼んでいる。氏、と紙をかけているのである。A氏と呼ぶのは別の場面である)の中にあるスーパーマリオのくだりが、とても面白かった。A紙は意味不明さを表すために、その部分をカタカナで書いた。そういえば今読んでいる「菅野満子の手紙」の中でも、満子の子供が、良一に書いたという手紙が登場するが、それはすべてカタカナで記されている。小さい子供がカタカナで書くというのは、当時の習わしだろうか。しかし、実はその手紙とは、満子が子供を装って書いたものであり、良一も謙二(小島信夫のこと)もそのことを見破っている。満子には、太田という画家の夫がいる。そういえばA紙も菅野満子読んでます、と以前言っていた気がするので、私はまんまと手に乗ってしまったのかもしれない。
ネモちゃんは小学校に上がるとすぐに手紙を書いた。それは幼稚園時代のクラスの担任宛であり、私が書くように言った気もする。おぼえたての平仮名で、何を書くのかと思ったが、出し抜けに、
「ピカピカきれい隊になったよ」
と書いたので、お前そりゃいくらなんでも唐突過ぎる、元気ですか? とか桜の花も散って、新緑のまぶしい季節になりましたとか、もっと手紙に相応しい言いまわしがあるだろと思い、そういうことを実際に口にして、やり直しをさせようと思った。しかし私は、すんでのところで自分の愚かさに気づき、そのままで続行させることにした。ネモちゃんは中くらいの便箋に、学校生活についての所感を記していったが、紙が足りなくなったので、最後の行の下に折り紙をセロテープで貼り付けて書き足していった。折り紙は赤色で、裏に字を書いた。裏は白である。
それから書き終わったので、私は写真も同封してやれば、先生も喜ぶだろうと思い、ネモちゃんに終わった宿題を再度開かせ、その上で、鉛筆を握らせた。笑顔をつくらせ、前歯が抜けたことを強調し、背景にはランドセルをしっかりおさめた。それをiPhoneで撮影し、家のプリンターで印刷した。プリンターは二階にあったので、私は階段をかけ上がった。
私はA紙の文章とにじ子さんのコメントを読み、自分の文章が内容にしろ文体にしろ、今はかなり子供に寄りかかって書いていることに気づいた。すると、あと一年か二年かしたら、私のこの文章は寿命を迎えるのか。それは残念な気もするし、抗いたい気もするが、それよりも何よりも、まずは私が自分の力で文章を書いていないことが証明されたようで、私は嬉しい。