意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

個性は捨てよう

昨日、いつも読ませてもらっているブログを読んでいたら、自分には個性がないというようなことが書かれていて、私はとても個性があると思っていたので、
「個性は出すものじゃないですよ」
とコメントをした。

私が個性を出すべきじゃないという理由を、漫画「ハンターハンター」を使って、わかりづらく説明すると、主人公のゴンが念のタイプが強化系で、強化系の技が100%の力を発揮できるとすると、系統としては隣になる変化系と放出系は20%出せる。数字には自信がないが、要するにある程度制限がかかるという意味だ。自ら個性を出すというのは、強化系しか使わない、という意味で、そうすると、両隣の20%、合わせて40%が犠牲になって、戦闘能力は落ちるということだ。

ゴンの場合は、ちゃんと師について、自分の能力のタイプを把握できたから、まだマシなのだが、カストロの場合、強化系でありながら、自分の分身を作り出すという、具現化系と、操作系の技を使ってしまい、自分の戦闘能力を、著しく下げた。対戦相手のヒソカからは、
「メモリの無駄遣い」
と評価され、投げつけられたらトランプで、ズタボロにされてしまうのである。もちろんトランプにも念が込められているので、鋭利なナイフのようだった。カストロはおそらく絶命した。

こんな説明で理解できたかは、わからないが、「個性を出す」とか、「わたしらしくやる」というのは、一種のトレンドではないかと思う。私は近頃、何でもかんでも「トレンドだ」と考えることが多い。Twitterで見かけたが、ホームレスが何か偉そうなことを言ったら、
「税金も払っていないくせに、いっちょ前なこと言うな」
と批判されたらしい。私は、義務と権利をごっちゃにしてまうのも、今時のトレンドではないか、と思った。

そもそも私が10代20代のころは、
「個性的」
「なになにさんらしい」
というのは、決してほめ言葉ではなかった。けなす言葉でもなかったが、なんと言っていいのかわからない場面で使われた。その言葉自体が、没個性的であった。私は中学の美術のときに、自分でもいつもわけのわからないことをしていて、
「小物入れを作りましょう」
となったときに、蓋の部分を彫刻刀とか使って装飾するのだが、私はそこに鯨の絵をかたどって、矢印を指して、
イカ臭い」
と書いた。友達が
「なんでイカなんだよ?」
と訊いたので、
「この矢印がイカなんだよ」
と、苦し紛れに答えた。教師は呆れ、しかし私は私で熱心にやるから怒るわけにもいかず、
「飯村君らしいね。我が道を行ってください」
とコメントした。その美術教師は、産休明けであった。

私が個性は自分でどうこうするものではない、と考えるようになったのは、ドラムをやった経験からである。ドラムでいちばん大切なのはリズムを刻むことである。しかし、勘違いした多くの素人ドラマーが、他の人と差別化するために、小難しい技をパターンに盛り込んで、結果的に他の人が演奏しづらかったり、リズムがめちゃくちゃになってしまう。ドラムには、オカズと呼ばれる曲の合間に入る連打のパターンがあるが、これが、ドラマーのスケベ心がいちばん出てくるところなのである。私は先生にいつも、
「誰でもできることを確実にやれ」
と注意された。村上ポンタは、機械のパターンを人間のものと勘違いし、そのシンプルなパターンを
「根性がある」
と評価した。