先日、仕事をしていたら、五十代の後輩のKさんに、
「飯村ちゃんは、いつも余裕で仕事してるって感じだよなー」
と言われた。頭に「悪い意味じゃないよ」とつけて。Kさんは、以前は別部署にいて営業をしていたのだが、去年の夏にこちらへ異動してきた。なので、後輩というと語弊がある。会社じたいには、もう十年以上勤めているからだ。その前は、ようかんの会社の営業をしていたらしい。私は芋ようかんが好きだが、ここ何年も食べていない。最後に食べたときは、
「(芋ようかんて)こんな感じだったかなあ」
と思った。子供の頃食べたのと、少し違う気がする。昔は包装とかも、もっとぶっきらぼうだった。あるいは、全然違うものを「芋ようかん」として食べていたのかもしれない。
私は、たしかに今の仕事にはなんの情熱も抱かずに、ただこなしているだけだが、忙しいときもあるし、そういうときは汗をかく。しかし決して汗っかきではないかなら、動いていないように見えるのかもしれない。私は寒がりだ。Kさんは、寒がりの私を気遣ってくれる。Kさんは、五十代で、今は営業とはぜんぜん畑違いのことをやらされているから、みんなに文句を言われてばかりだ。みんな、というのは全員年下である。だから、Kさんとしても、気持ちを維持するのが大変である。今日も電車が遅延したと言って、走ってきたらしい。
「電車の中が、満員で、蒸し暑くて最悪だったよ。ハンカチで首筋の汗を拭う人もいた」
と言った。私は話を聞いて、気の毒そうな評定を浮かべた。私はKさんに、比較的優しくしている。優しくする、とは諦めることだ。期待しないことである。雑な仕事をしても、一から十まで全部指摘したら、嫌になって、来なくなるかもしれない。しかし、Kさんはあと二年もすれば定年だから、なんとか踏ん張ろうとするだろう。そういうのが、悲劇を招くのである。だから、四とか五とか、こちらがうまく調整しなければならない。私の同僚は、血気盛んな人が多いから、私は最近では一とかゼロである。期待をしなくなると、仕事ぶりもあまり気にならなくなった。目をつぶりすぎて、私の目は開かなくなったのかもしれない。そうしたら、最近になって後輩のH・Kくんが、
「Kさん、最近仕事が丁寧になりましたね」
と私に教えてくれた。私は、
「じゃあ余裕がでてきたんだね」
と言った。
そのKさんに、私の仕事ぶりが余裕しゃくしゃくであると指摘され、私は大変驚いた。昔にも同じようなことを言われたことを思い出した。そのときはまだ20代だった。20代のころ、私はパソコンに向かう仕事をしていた。パソコンで、引き落としのデータとか、会議の資料などを作っていたのである。そして、仕事が詰まって忙しくなってくると、必ず主任に、仕事を振られそうになった。私が暇そうに見えるらしい。主任は上半身は太っているくせに、足は長いので、年取っているんだか、若いんだか、よくわからない外見をしていた。多分ジーンズは私よりも細いものを履いていた。主任は、しかし白髪は結構あった。
「飯村くんと仕事をするようになって、白髪が増えた」
と言った。確かに私が入った頃は、もっと黒かった。一方の私も入った頃はもっとも痩せていて、柄の入った半袖のシャツなんかを着ていた。小さな四角が等間隔に並び、それが一部重なって、重なった部分が違う色になるような柄である。白地に青系の模様なので、大変爽やかであった。その仕事に就く直前まで、私は塾でアルバイトをしていた。塾、と言っても1対1なので生徒はひとりだった。最初の授業のときに、塾長が写真を撮ると言って、私たち2人を並ばせた。塾長、と言ってもこの人はただの経営者で、いつも八時過ぎとかにやってくる。背も低くて小太りで、BMWに乗っている。そのときに私は前述のシャツを着ていた。生徒は中学三年生で、背は私と同じくらいで、サッカー部に所属し、サッカー部のような外見をしていた。私はたぶんその前の年とかに髪にパーマをかけていて、まだそれが残っていた。さらに茶髪だったから、生徒には
「チャラい」
と言われた。しかし、私たちは割とうまくやっていたようで、一年が過ぎたころ、別の女講師に、
「飯村さんのところからは、いつも笑い声が聞こえて楽しそうでしたね」
と言われた。