意味をあたえる

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犬も歩けばブランキージェットシティにあたる

何日か前にも記事にしたが、私はブランキージェットシティというバンドが好きで、そうしたら行きつけの美容師もファンだったので話が弾んだ。ブランキージェットシティのファンというのは、たいていどこにでもいる。以前Twitterをやっていたときにも、ファンだという女性がいて、話が盛り上がった。それと、このブログを始めたときも、誰かが話題にしていた気がする。そのときは、もう以前ほど聴いていなかったので、コメントなどは残さなかった。

私は、ファン、と言っても初めて買ったアルバムは解散ライブの二枚組のCDだった。弟に買ってこいと言われ、買ったのである。それ以前は、私はバンドをやっていて、「赤いタンバリン」という曲はコピーしたので知っていた。アルバムのジャケットが野球場になっている。私は野球場のジャケットが好きである。他にあるのかと言われそうだが、グレイトジャズトリオというジャズトリオのアルバムが、野球場である。どちらも昼間の球場で、ナイターではない。芝生がきれいなのである。

ところで、今、グレイトジャズトリオ、と打ったら「グレイとジャズトリオ」となっていた。まるで「ヒデとロザンナ」のようではないか! と思い、直した。逆にヒデとロザンナを一緒くたにすると、「ヒデトロザンナ」である。秀でたトロが懺悔でも行うのか?

閑話休題

赤いタンバリン」は、テンポの早い曲で、私はドラム担当であったが、早い曲は腕が疲れるので嫌いだった。私の性格もある。早いと雑になってしまうのも嫌だった。だから、ブランキージェットシティは、早いバンドだと思い、最初はあまり興味がなかったのである。しかし、ゆっくりな曲もあったので、私と弟は好んで聴いた。流れとして、私はここからブランキージェットシティの魅力について述べるのだろうが、好きなバンドや音楽については人それぞれなので、割愛する。

私は当時は大学生かフリーターであり、とにかく暇で、弟の部屋でゲームばかりしていた。ゲームは元は私がお年玉で買い、一階の和室に置いてあったが、だんだんやらなくなったので、弟の部屋に置かれるようになった。一階の和室は両親の寝室も兼ねていたので、布団があるとゲームができなかったのである。たまには布団が敷きっぱなしでも構わずやってしまうこともあったが、誰かが寝ていれば、できない。ゲームは部屋の西側にあり、西側が父の布団だった。父は大変に怖かった。

それで、私たちもいい加減大人になり、弟は高校生だったが、子供の頃は部屋にテレビやゲームなんて言語道断だったが、だんだんとそういうのが緩くなって弟は部屋にテレビとゲームを置いた。それで、夏休みになって私たちは暇で仕方なかったので、毎晩とにかく持っているゲームをクリアしようとなって、スーパーマリオブラザーズから始めて、ブランキージェットシティのライブアルバムを聴いているときは、PCエンジンの「大魔界村」というゲームに熱中した。それを毎晩繰り返していると、ゲームのどのあたりでどの曲がかかるか、というのがわかるようになって、そういうのが思い出になった。

一面の後半には豚の化け物のようなのが出てきて、豚だから足は遅いのだが、たまに猛烈に突進してきて、油断しているとやられる。「大魔界村」は難易度の高いゲームで、どんなにいい鎧をつけていても、二回攻撃にあたると、死んでしまう。死んでしまう、というのは、骨になるアニメーションが流れるから、確実に死んでいる。宝箱をあける度に、武器をチェンジできるが、剣とナパームは射程が短くて話にならない。一番優秀なのはダガーで、あたり判定は小さいが、唯一一度に三発撃てるのである。それ以外は二発だ。私は、円盤がけっこう好きだったが、友達の間では不評であった。大魔界村の豚は、たいへん固いので、何発も撃ち込む必要がある。

弟は、この豚は「花*花」と言うボーカルデュオの、細くない方の女に似ていると言った。確かに似ていないこともないが、私はあんまりではないか、と思った。しかし、特に「花*花」のファンではないから、黙っていた。

花*花」と言えば、昔一時期だけバンドを組んでいた人が、
「「花*花」のツアーに帯同したドラマーの給料は、とても安かった」
と、言っていた。