意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

小説はストーリーを遅延させる

数日前の「動物園のような文章」の中で、文章は読者の明瞭・不明瞭に合わせるのではなく、書き手みずからのに合わせるべき、と書いた。そうじゃなかったかもしれない。しかし私の書き後感としてはそんな風である。それをきっかけにして、私はサミュエル・ベケット「モロイ」を本棚から取り出して、少し引用したいと思うようになった。「モロイ」こそ、私が今まで読んだ中で一番不明瞭な小説だからである。不明瞭、というのは、もちろん書き手の側のことだ。

「モロイ」は保坂和志の著書の中で知った。保坂和志の著書を2、3冊読めば、「モロイ」は必ず出てくる。「考える練習」というエッセイの中で、
「自分の頭で考えるようになるには、どうすれば良いか?」
という若い編集者の問いに対して保坂和志は、
「とりあえず「モロイ」を読め」
とアドバイスするのである。それを目にしたとき、私はすでにモロイは読んでいただろうか? 私は去年の春か夏に「モロイ」を買った。とっくに絶版になっていたので、中古を頼んだら、ぼろぼろのが送られてきた。昭和40年代とかそんなので、バーコードなど当然付いていない
。私は以前、バーコードの付いていない本を、池袋のジュンク堂書店で買ったことがある。それはなんだか忘れ去られた本のようで、レジに持っていったとき、店員は若い人だったので、きっと戸惑うだろうと期待したが、何事もないように金額を請求された。私は払った。ジュンク堂にはその手の本がたくさん眠っているのだろう。

私は「モロイ」を夏中読んでいた。私は無印良品で買った「人をダメにするソファー」に座って、ハーフパンツのパジャマを着て、夜な夜な読んでいたのです。しかし、いつも決まって一ページかニページしか読めなかった。文章が難解で、眠くなってしまうからである。読書に効率だとか、費用対効果みたいなのを持ち込む人は、とても読みきることはできないだろう。

モロイとは男であり、おそらく男で年寄りあるが、第一章は街中や森の中を歩き回ったりする。自転車に乗っているが、足が悪い描写もあった気がする。足、といって、右足なのか左なのか、はたまた両方なのかを読み取るのにも、とても難儀する。

第二章になると、モロイを捜索する刑事が登場するが、刑事の家にモロイ捜索の依頼がくるところから話は始まるが、何ページ読んでもいっこうに捜索に向かう気配がなくてイライラした。刑事には息子がひとりいて、それに鞭打ったりして、息子がとても気の毒に思えた。それで、二人暮らしなので、二人で探しに行くのである。

保坂和志は、「ストーリーは、小説を遅延させる」という言い方をしたが、私は最近になって、逆もまたしかり、「小説はストーリーを遅延させる」ということに気づいた。「モロイ」は完全にそれであり、「モロイの捜索」というきっかけは与えられるものの、結局探しているような部分はほとんどなかった。そして、当然ながら、刑事はモロイに会えるわけではない。