意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

誰にも読まれないようなものを書きたい

私のブログのスタイルは、記事の内容は書きながら考えるというもので、そうすると、書いていないときは考えなくて済むから気楽ですね、と思われそうだが、やはり考えている。確かに私も毎日のように、
(その場で考えるのだから、前もって考えるのは無意味だ)
と自分に言い聞かせるのだが、いざ、スマホを開いたときに、何も言葉が出なかったらどうしよう、と不安なので、やはり考えてしまう。車を運転しながらとかが多い。通勤途中には橋があり、それを渡りきって土手を下ると保育園がある。保育園に通う子供は永遠に子供なので、うらやましいと思う。実際に書き始めると、うまくいかない日もある。それと、たまには注目されたい、人気者になりたいと思うので、わからないものを書くよりも、最初から面白いものを書きたい、と思う日もある。

なぜ私が前もって考えることに消極的なのかについて説明すると、それは保坂和志高橋源一郎小島信夫らの影響なので、そちらを読んでもらえば理解いただけると思う。彼らが直接、
「前もって考えたものがつまらない。その場で思いついたことを書こう」
と主張しているわけではないが。私はそんなに記憶力は良くないし、また、読み違いもすごく多い。勝手にそう解釈したという話だ。高橋源一郎は、
「小説は、なるべく遅く書き始めるべき」
と書いていた。

私が即興演奏のような書き方をするのは、意識よりも無意識をあてにしているからで、もしくはそうするための訓練である。なぜ、無意識をあてにするのかと言えば、そうすることによって、より強度のある「自分らしさ」「オリジナリティ」を獲得できると思ったからだ。しかし、私の言う「無意識」は、本当の意味の無意識とは少し違うのかもしれない。私は、読み直すと、まるで無意識を意のままにコントロールしてるような書き方をしていて、それはちょっとおかしいと思った。無意識は、コントロールできないから無意識なので、私はもっと無意識(あるいは、そのいちぶぶんである、意識)に敬意を払わなければならない。無意識でないとすると、言語感覚だろうか。私は、言語感覚を、欲望に勝たせたい。

しかし、「自分らしさ」「オリジナリティ」という言葉ほど、陳腐で独りよがりな言葉はない。そういうのは子供か、せいぜい20代の人の言葉である。別にそれを追求することは悪いことではないが、ある程度成熟したのなら、それらは相対化すべきである。私は相対化、という言葉があまりうまく理解できず、いつも「絶対化の逆」という思考を経由する。

それでは、30代以上の人は何を絶対的に追求すればいいのか、を書こうと思い、また、実際に書いてみたが、途中で私の筆は止まってしまった。うまく離陸ができず、私の言葉は地べたを這いつくばったままだった。なので消してしまうことにし、以下は話を差し替える。

私の娘(ネモ)が二年生になって、ひとりで集合場所まで行くようになった。それまでは一年生だったので、私はくっついて行っていた。私は六年生とかになったらわからないが、ある程度大きくなるまでは、くっついて行こうと思っていた。私は集合場所へひとりで行けることが自立だとか、そんなことは全然考えない性格だからだ。しかし、向こうから
「いい」
と言うので、私は引き下がり、今日なんかは、出勤時刻まで、私はぐずぐずと寝巻きのままでいた。私は窓から赤いランドセルが離れていくのを見守ったが、家を出てすぐにガレージがあり、そこを右に曲がると、娘はすぐに見えなくなった。ガレージの影になるからである。ガレージの中には、義父の黒い軽バンが入っている。私は、これはただの偏見だが、中古で買ったような軽のバンなんて、雨ざらしで十分だと思う。代わりに私の普通乗用車を、ガレージに入れるべきである。しかし、私は今までガレージに車を入れたことなどないので、別に構わなかった。

もしかしたら義父はガレージを、「家長の象徴」的なものとして捉えているのかもしれない、と私は考えた。私の実父の場合、それは座椅子であった。私の実家にもガレージはあるが、それは物置として利用され、車を入れるスペースなどなかった。だから、ガレージは、「家長の象徴」になれなかった。家族は正方形のちゃぶ台を囲んで夕食や朝食をとったが、父だけはいつも座椅子に座っていた。私たちは座布団である。あるいは、畳の上にじかに腰かけた。

現在の私は、家長でもなんでもないので、そういうものは一切持たない。しかし、いずれ義父が死んだら、そういうのが必要になるのかもしれない。

なんにせよ、義父のガレージの影に娘は隠れ、見えなくなった。私は、つい先日まで見えていた風景が見えなくなったことを、とても奇妙に感じた。私は娘ではない。しかし、春休みの前までは、私は娘だったのだ。