意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ブログの書き方

購読しているブログで、最近このタイトルで書かれているのをよく見かけるので、私も便乗して書く。

私のブログを以前から読んでいる人は知っているかもしれないが、私は記事はほとんど、スマホで書いている。昨年の秋頃まではiPhoneで、それ以降は京セラDIGNOである。白だ。下書きも推敲も全部スマホで済ませる。というか、下書きも推敲もない。手直しは気が向いた時しかしない。あと、下調べもしない。よくわからないことは、わからないまま書くようにしている。

書く時間については、理想としては、午後10時以降であるが、更新しないと落ち着かないので、早く書いてしまう日も多い。遅い時間に書きたい理由は、遅い方がやり直しとか効かないので、諦めがつきやすく、結果的に効率良く書けるからである。私は、書き直したところで内容は大して変わらないと思っているのである。

一度更新したものについては、特に理由がなければ手は入れない。手を入れたくなってしまうから、読み返すことも極力しないが、なんかの拍子にふと読み返すこともあり、しかし、最近はあまり手を入れたいと思わなくなり、素直に楽しめるようになってきた。書ききったものに関しては、速やかに忘れるようにしている。

起承転結については、「起起起起」か「起承起承」で書くようにしている。話は極力まとめない。まとめるなら、はなからまとめのみで構成すればいいと思っている。ついさっき、局長さんのブログを読んでいたら、
「文字は記号である」
とあって、まさにその通りだと思った。しかし、一方でそれを組み合わせてつくる文章は、記号のときも、そうでないときもある。私は記号にはしたくない。よく文を綴ることを「文字と格闘する」なんて言ったりするが、これは、記号化との格闘ではないか、と思った。思い切り具体的な例を出すと、紋切り型とかステレオタイプとか、そういうのにうっかりハマらないように、注意深く、いや、むしろ袖などが引っかからないように、強引に、素早く、切り抜けるのである。話は全く関係ないが、一昨日の夜テレビを見ていたら、
「シニアのファッション」
みたいなのがやっていて、スタイリストの女の人(老人)が垢抜けないパーマをかけたような老人にファッションアドバイスを行うのだが、ズボンにしろ上着にしろとにかく、ロールアップ、ロールアップの嵐でそれが私たち夫婦にも刷り込まれ、昨日出かけたとき、私は早速パーカーの袖をまくった。こうすると、袖が枝に引っかかりづらいという利点もあり、私もオシャレに見えるのである。