意味をあたえる

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20世紀少年から永劫回帰

※私は、ニーチェの著書をちゃんと読んだことないから、読んだ方がいい。とりあえず、今回は保坂和志の著書から得た知識を足がかりにするが、次回も、次次回も「とりあえず、」であることには変わりないことを、ここで強調しておく。

20世紀少年では、ディスク2と3にパラレルワールドが登場し、それは、ともだちランドのボーナスステージで体験できるヴァーチャル・リアリティなので、厳密には違う。出演者はわざとらしくヘッドギアを着用し、脳内に電流を流してもらってトリップする。そこになにかしらの仕掛けがあって、出演者は制作者の意図した世界を体験できるのである。そこで、三人の人間が別々に主人公の子供時代の世界にタイムスリップして、とくに三人目である主人公・ケンヂは、自分の過去を清算するという、極めて自分勝手なヴァーチャルなのである。

しかしヴァーチャルなのであれば、自分勝手なんて発想が出るわけなく、つまり私は最初に見た時点からこれはパラレルワールドであり、現実に存在する世界だと捉えていた。

保坂和志は、いわゆるデジャヴを体験したとき、それは生まれ変わる前の自分の体験が記憶として残っているために起こる現象と解釈した。つまり、生まれ変わる前も自分だったのである。その発想の大元はニーチェであり、ニーチェ素粒子論ですべては確率の世界であるとするならば、宇宙のどこかに地球と全く同じ進化をたどる星が確率的に存在するはずで、そこには自分と同じ遺伝子、細胞を持った生物がいるはずだとした。それが前世、あるいは死んだ後の自分なのである。つまり、コピペされた私は、私なのである。もし、完璧なクローンというものが作られたとしたら、私の視界は2画面になる。二番組同時に試聴できるテレビをイメージすればわかりやすいが、実際は重なるから極めて見づらいのではないか。聴覚も皮膚も二重である。逆に、クローンというものが、双子程度のものであるなら、それはどこかがコピー漏れしているのである。だから、どこでもドアにしろ、アンパンマンの顔にしろ、古い方も新しいほうも自分である。古い方はものすごい早さで削除されるから、気づかないだけの話だ。

私が午前中閃いたのは、生まれ変わりや前世は、どこかのタイミングでたまたま合致した遺伝子配列、とかそういうレベルではなく、この宇宙全体やその外側全部には、あらゆるタイミングと可能性の世界が全部揃っている、ということだ。簡単に言うと、一億年前と昨日と一秒前の地球が、どこかしらに存在する、という話だ。私たちは、頻繁に過去の出来事を思い出すが、思い出すというのは、例えば午前中のことならば、今リアルタイムでどこかにある午前中の地球(言い換えると、我々の地球とそっくり同じだが、時間だけが3時間遅れの地球)の自分と、ある程度シンクロし、だからその光景が頭の中で再生されるのである。夢や妄想も、そちらの世界の自分と重なっているから、実際の出来事のように、臨場感を持って体験できる。あるいは、実際に体験している。例えば、思い違い、(あのとき佐賀県に行ったと思ったのは、実は滋賀県だった)というのは、どこかの世界の自分は、佐賀県に行ったという話だ。そして、そこは佐賀県の中身はそのまま滋賀県なのである。佐賀県に琵琶湖がある世界なのだ。

だから、私たちが将来タイムマシンを開発したときには、それは厳密には過去に行く装置ではなく、過去によく似た世界を見つけ出し、そこへ移動する装置になるだろう。しかも移動とは物理的なものではなく、行き先の特定の人や物の遺伝子を、コピペするのである。あるいはその逆である。

最後に、以上のことを考えながら生まれた疑問を書いておく。

  1. 私はこのアイディアを、20世紀少年を見ながら思いついたが、以前漫画を読んだときには思いつかなかった。映画やドラマも同じように、どこかの世界では演じる側と演じられる側が反転していると思ったのである。しかし、漫画や小説は反転しないのだろうか?
  1. 私は文章を書きながら、永劫回帰の意味が自信なくなって検索してみたら、「輪廻」という言葉が出てきた。そのとたん、なにか危機を感じあわててブラウザを閉じた。あることが、効率良くわかってしまうというのは、危険なのかもしれない。
  1. 20世紀少年のディスク1を見たときに、オッチョの役をやっているのは、ずっと浅野忠信だと思っていたら、ディスク2になると、豊川悦司になっていた。しかも、昨日の段階では浅野忠信という名前が出てこなくて、思い出そうとすると、永瀬正敏という名前が浮かんだ。キョンキョンの元旦那である。そのことと今回のことはなにか関係あるのだろうか。