意味をあたえる

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眼帯(6)

※前回
眼帯(5) - 意味をあたえる

翌朝岸本さくらは眼帯を外してきた。左目のまわりに特に傷はなく、様子も普段通りだった。周りの人たちも尋ねたりしなかった。私は、実際は怪我ではなかったのかもしれないと思った。

私たちは来週の水曜日には卒業式を迎え、それからは中学に上がる。中学は東中と南中に分かれ、私は南中に通う。岸本さくらは東中だ。私たちは4月以降の話は一切しなかった。誰がどの中学に行くかは、全員が把握していた。私は教室の真ん中らへんの席だった。岸本さくらは窓際の後ろのほう。東中の人は窓際の席が多かった。窓は南向きである。

三咲先生が前の扉から入ってきた。起立。礼。着席。日に日に号令のリズムが良くなってきている。三咲先生は一度は教壇の前に立ったが、壁に貼られたの日めくりが、まだめくられていないことに気づき、
「今日の日直はだれー?」
と言いながら、自分でめくった。「7」という数字が顔を出す。あと7日である。7は細いマジックで書かれていて、バランスを欠いている。おそらく男子が、半ばふざけながら書いたのだ。私ではない。私なら、全体が震えて頼りない感じになる。幼稚園年長組で初めて名前を書いたときもそうだった。先生の机の前に順番にならんで、寄せ書きに名前を記入していく。私は年長組で、はくちよう組だった。私は背が高かったので、後ろのほうに並びながら、名前の字をとちるんじゃないかと冷や冷やした。先に渡された、4Bの鉛筆が汗でぬるぬるした。鉛筆にはところどころ傷がついていて、それが滑り止めのような役割を果たした。それは誰かが噛んだ跡だった。

私が書いたのは、23とか17とかの二桁の素数だった。

卒業までのカウントダウンは一ヶ月前から始められた。私は下級生のころから、卒業間近になるとこういうことをやるというのを知っていた。だから、先生が
「カウントダウンつくろう」
と言ったときには、
「ああ、俺たちもこうしてやるんだな」
と思った。日めくりは、その日の日直が行うことになっていた。その日は栗田みきだった。その前日が岸本さくらで、岸本さくらは日めくりは朝来てすぐに行ったが、帰り際は目を怪我して大騒ぎになったから、日誌を書くことができなかった。岸本さくらは、男子の日直の熊野に頼んで、お母さんの車に乗って帰って行った。熊野は体は小柄だが、大変大きな字を書くので、備考欄はわずか二行で埋まってしまった。

栗田みきにも男子の日直がもうひとりいたので、日めくりの忘れについては、栗田みきが100パーセント悪いわけではなかった。栗田みきのパートナーは小池で、小池は設備屋の息子で、小池設備は坂の途中に建っていた。あるとき三咲先生は、
「坂の途中に家が建っているのは、お金持ちなんだよ」
と教えてくれた。