充電が少なくなってきたので、記事を更新しようと思う。今は夕暮れであり、さっきまで高かった気温が下がってきて、窓から入り込む風が気持ちいい。明日は晴れるかどうかは、知らない。
そういえば、昼間ネットの文章を読んでいたら、「事、物、一つ」については、漢字で書くよりも平仮名で書いた方がよく、それを書いた人はプロの編集者で、実際これらの文字が漢字でやってくると、平仮名に直してしまうそうだ。これに関して私が思うことは特にないが、そう言われると漢字で記したくなってしまうが、私には出版の予定などない。そういえば例えば一つの小説、や著書の中で、最初に平仮名として登場させた単語に関しては、以後意図的にそうした物を除いてずっと平仮名、というルールは存在するのだろうか。例えば、私はもう「平仮名」という単語を三回か四回使っているが、もういい加減「ひらがな」と書きたいがこらえている。
山下澄人と保坂和志が対談しているのをYouTubeで見たときに、だいたい保坂和志ばかりがしゃべっているのだが、その最中に
「お前、そういえば途中で登場人物の名前間違えただろ」
と突っ込みを入れるシーンがあって、保坂はさも愉快そうに、山下の本をぱらぱらめくってその箇所を探そうとするが見つからない。山下は元から口数が少ないので、「え? え?」という感じだが、特に恥ずかしそうにしているわけではない。確かに名前なんてどうでもいい。例えば誤字にしたって、読んでいるほうは「誤字だね、これ」と思いながら、それを放置している作者とか校正の人の信頼は下がるかもしれないが、作品そのものの信頼は下がらない。
私がいちばんびっくりしたのは、舞上王太郎の「暗闇の中で子供」という話で、最初のほうで殺された男が、あとから全然死に方が変わっていて、私は最初意味がわからなくて、何度も行ったりきたりして、「やっぱ違うじゃん」と確信した。とにかく長い話だから、当該の箇所を探すのが大変だった。長い話だから、作者も書いているうちに忘れちゃったのかもしれない。忘れちゃうなんてプロ失格だ! とか、あともっと詳しいプロの人があれは「○○という理由があるんですよ、よく読んでください、ここでちゃんと種明かしされてますから」とつじつまを合わせてくれるのかもしれないが、私としては、夢中で書いててどんな死に方したか忘れた、読み返して確認するのももどかしいから、そのままにしたよ、というほうがいいな、と思う。現に私は「あれ?」と思いながら行ったりきたり何度も読み返したのだから、小説としては大成功だ。
それでまた最初の漢字の話にもどるが、私が高校の頃ノートに書き物していた頃に、私しか使わない漢字、というのがあって、友達に見せても「この字をわざわざ漢字にするなんて、弓岡らしい」と言われていて、そういうのを読みながら思い出したのだが、肝心の字の方が出てこなくてうんうん唸っていたら、少し前に目さんの記事で「自分語」というのをやっていて、私もそういうの欲しいなあ、と思っていたがそのときは全然出てこなかったから、ちょうどいい、この字を「弓岡語」にしよう、と思って、思い出せ、思い出せー、と念じていたら、やっと思い出した。「筈」という字だった。