意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

朝考夜書

※この記事を最後まで読んでください。

朝は車を運転して会社へ向かうので、自分の考えに没頭していることが多い。これは今日の記事に使えそうだ、みたいな取捨選択をするわけではなく、そういえば私は明確に
「没にしよう」
と思ったことがない。なんかもう、頭の中で書き出している。私は自問自答みたいなことはしない。それはおそらくスタイルみたいなものだが、私の場合は頭の中でもう「ぶっつけ本番」みたいなことをしている。しかし、それをそのまま書いているか、と言えばそうではなく、頭の中で組み立てた文章をそのままアウトプットするのは、至難の業だということに最近になって気づいた。だから本当は頭の中であまり書かない方がいい。書けば書くほど、チェックポイントみたいなものができてしまい、それをすべて通過するルートを書きながら見つけなければならず、それがすごく大変だ。だから、書く前から気持ちが萎える。

前もって考えたことを書く、というスタイルだったら、私は今のペースで書くことはできない。

私は朝、「ありがとう」という言葉について考えていて、簡単に言ってしまうと、ありがとうという文句がすでにテンプレートと化してしまっているので、「ありがとう」と言ったくらいでは、謝意など伝わらない。

ああ、だんだんと思い出してきた。

私は朝車を運転していたらバスの後ろを走っていて、それは某大学のスクールバスだ。「本当に大学?」と思わず言ってしまいそうな、変な名前の大学だ。本人たちは至って真面目なのだろう。そうしたら、バスはやがて学校に到着したので、右折した。私はまっすぐに向かいやがて踏切を渡る。駅がすぐそばにあるので、引っかかると随分待たされる。発車したばかりの電車はゆっくり走るからだ。バスが右折すると隠れていた信号機が現れ、それは赤信号だったので、私は止まった。いつもの道だったので、赤信号は唐突だったが、余裕を持って止まれた。私は「ありがとう」の無意味さについて考えている。

すると、いきなり後ろからクラクションを鳴らされた。私に向けて鳴らされているようだったが、私じゃない可能性もあるから無視した。また鳴った。
「ぱぱぱぱぱー」
という苛立ちを表明するような鳴らし方だった。私はこの後ろのドライバーは、ひょっとしたら、赤信号だというのを気づいていないのかもしれない。私は赤信号で止まっているので、やはり無視した。すると後ろの白い車は、勢いよくハンドルを左に切り、左側は月極駐車場で、そこの自分の契約エリアに、車を切り返してバックでおさめた。
「ずぎゃぎゃぎゃぎゃー」
という音を立てて、タイヤは砂利を巻き上げた。ドリフトでもしそうな勢いだ。つまり彼(性別は確認していないが、便宜的に彼と置く。男性読者の方はごめんなさい)は、私にもう少し前に詰めて、彼が左折するだけのスペースを開けろと要求していたが、私がまったくそのことに気づかずに考えに没頭しているから感情が高ぶったらしい。おそらく彼は左のウィンカーをつけていて、普通のドライバーなら察するだろ、とでも思っていたのではないか。

確かにぼんやりしていた私にも非があるのかもしれないが、しかし停止線を越えれば信号無視になってしまうからやはり私に非はない。ただ彼からしたら私がちょっとばかし前に出たって停止線は越えないのだから、やはり前に出てくれたっていいじゃんケチンボ、と思ったのかもしれないが、やはり私は
「青になるまで待てねーのかよ、ばか」
と思う。こんなところにある月極なんて、学校の生徒に決まっているので、いっしゅん苦情でも入れてやろうかと思うが、すみませんと言われるだけなのでやめた。

おかげで「ありがとう」についての思考はばらばらになった。

話を戻すと、たまに読むブログで、一行目から、
「ありがとうございます!」
と言ってくるような威勢のいいのがあって、それを読むと私は「生入りました!」とかいちいち声を張る居酒屋を思い出して、気後れしてしまう。いや、別にそういう居酒屋が嫌いなわけではない。だから、別の例えでいくと、コンビニのトイレに入るとたまに、
「キレイにご使用いただき、ありがとうございます」
という貼り紙があって、私はいちいち
「用を足すのはこれからなのに、どうしてキレイに使うと言い切れるんだ」
と、心の中で悪態をつく。これは強要の未来形、というやつではないか。なぜ素直に、
「キレイに使ってください」
と、書けないのか。たしかにこちらの方がキツいニュアンスだが、そこに立ち向かわなくてどうする、という感じがする。前述のブログも同じで、
「読めよ」
と言われている気がする。「ありがとう」と言えば、なんでも通る世の中だと勘違いしているのではないか。そういうことから、「ありがとう、のテンプレート化」というのを思いついた。

だから、私は自分の言葉にもっと強度を持たせるために、冒頭に「※最後まで読んでください。」と入れた。今入れた。文章というのは、始まりを最初に書くとは限らない。

それから、この記事のタイトル「朝考夜書」というのが気に入ったので、その名前でブログを作った。記事を書くつもりはない。良ければ読者登録してください。


※小説「余生」第25話を公開しました。
余生(25) - 意味を喪う