意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

忙しいと言うな

「困っている人が好き」
と書くと、まるで私がとても親切な人のような感じがしてしまうがそうではない。けれど私は案外親切かもしれない。こうやって、ブログに書いているときくらい謙遜とかそういうのは置いておいて、思ったことを素直に書きたい。今朝は現在58歳のJさんに、
「弓岡ちゃんは優秀なんだから、こんなところで終わっちゃダメ。本来ならもっと評価されるべき」
と朝っぱらから言われたが、もちろん私は、
「そんなことないですよ」
と苦笑いをしたが、内心では当然だ、と思っていた。しかし当然だと思う部分は「優秀」のみで、評価とかどこで終わるかについては興味がなかった。それでも「自分がもし社長になったら......」みたいな妄想は少ししてみる。私が社長になったら、全社員残業月100時間・有給消化率0パーセントを目指す、オール・オア・ナッシングプランを立ち上げて、効率良く自分の儲けを増やすつもりだ。

ところで58歳のJさんは、57歳のときにうちの部署に来て、要するに飛ばされてきたのである。本人は歩いて会社まで来ている。そういう人に、「優秀」と言われたからといって、私の優秀さが何に担保されたわけでもない。しかしその人の能力云々は置いといて、誰かに一目置かれるのは組織で仕事するのにおいて、ストレスが溜まらなくて良い。ひとりで仕事をしていたら、逆だろうか。チーム内で「なんとか系の仕事は、誰それ」みたいなのができると、その誰それは自分の居場所が確保できて、精神的に楽になる。だから、自分が新しく入ったら、まずは自分の居場所を確保することから始める。それがうまくいったら、例えばそのうまくいった領域の一部とか全部を居場所のない人や新しい人に譲ってやる。だけれど、「譲る」をなかなかしない人が多い。いつまでも自分のポジションに固執し、
「忙しい、忙しい」
と目を回している。私は「忙しい」なんて言葉は信用しない。それは組織内の自分の価値を高めるための演技、演出である。だいたい本当に忙しかったら、「忙しい」と言うエネルギーだって惜しいはずなのである。私はそういえば仕事に集中しているときは急に静かになって腕組みとかしているので、よく遊んでいるとかサボっているとか思われる。

自分が忙しいと思っている人は、「自分だけが忙しい」と思っている。それならば、忙しくない周りの人に仕事を振ればいいのにそれをしない。
「どうしてですか?」
と訊ねると
「忙しくてそんな余裕がない」
と返ってくる。完全に思考がストップしている。サラリーマンをやっているとどんどん馬鹿になるというのは本当のようだ。私はたまに感情的になると、
「それじゃあ手伝います」
と半ば強引にその人の仕事を取ってしまうことがあるが、やはりあまり良い顔をされないから、感情的にならないとなかなかそういうことはできない。

私が最初に勤めた職場では、主任と私の間にスローガンがあって、それは
「今日死んでも業務に支障がでないようにしよう」
というものだった。要は自分の担当業務を可能な限りオープンにしようという話である。なぜわざわざ「死んでも」なんて言うのかと言えば、実際に死んだ人がいるからである。私たちの中で死はリアルで、自分がいなければ業務はまわらいというのが幻想に過ぎないことを、その人を見て学んだ。その人は自殺した。私たちは組織の中では捨て駒にすぎない。